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「政治家の資質」(平成21年3月コラム)

連載:Mr.Ishikawaの時事コラム

  テレビで中曽根元首相が「政治で一番大事なのは信頼だ」と語っていた。
 まさに、その通りだと思う。
 小泉元首相の表現を借りれば、最近の政治家の質の低下ぶりは「怒りを通り越して笑ってしまいたくなるほどあきれた状態」だ。
 総理大臣は一国のリーダーである。
 それが、発言内容が終始一貫せず日本の現状が分かっていないと思われては、国民の信頼は得られない。
 また、外国の会議に出席、もうろうとしながら話す大臣がいては恥さらしである。
 同じリーダーでも、国民の心をつかみ奮い立たせる演説ができるアメリカのオバマ大統領とは雲泥の差である。
 また、国民の審判を経ないで首相が何人も変わる日本の政治システムは問題だが、アメリカのブッシュ大統領のように辞めさせたくても任期中は変えられないシステムでも具合悪い。
 だが、アメリカでは長官クラスは就任前に能力から素行まで議会で事前チェックを受けるシステムがある。
 日本の大臣にもそのシステムが必要ではないか。
 大臣は仕事を官僚に任せ、お飾りでおれた時代は終わった。
 国民が何を求めているか、的確な現場認識を持つことが政治家の基本的資質になってきた。

 改造前当時の福田内閣の「閣僚通信簿」(平成20年8月、朝日新聞)は興味深かった。
 閣僚の働きぶりを、存在感、親福田度、脱官僚度、政策能力、説明力、実行力の6項目で評価している。
 脱官僚度の低い大臣は概して存在感も小さかった。
 逆に、存在感の大きな大臣は、脱官僚度が高いタイプ(渡辺喜美金融行政担当相)、説明力が高いタイプ(鴨下一郎環境相)、政策能力が高いタイプ(桝添要一厚生労働相)、個性派タイプ(鳩山邦夫法相)などに分かれる。
 つまり、国民生活から離れお役所に依存している政治家では存在感は発揮できないのだ。
 そのため、国民の生活実感との乖離が大きくなり支持率が下がる。
 麻生内閣の支持率は11%、不支持は73%となった(毎日新聞)。
 ところが、麻生総理は内閣支持率の動向には無関心なようである。
 これも国民から遊離し現場認識が欠如している証左であろう。
 だが、官僚にしてみれば、そんな大臣の方が御しやすい。
 中川秀直元自民党幹事長の著書「官僚国家の崩壊」を読むと官僚の壁の厚さがよく分かる。

 わが国の政治家には2世政治家が多い。
 だが、必要な時に必要な人が登場する政治風土がない。
 その点でイギリスはすごい。
 昨年も述べたが再度述べたい。
 ドイツのヒットラーが欧州を侵略し始めた頃にピタリと合わせ登場した首相がウインストン・チャーチルで、国内の反対を押し切りヒットラーに敢然と立ち向かい第2次世界大戦に勝利し国を救った。
 また、国力が衰退する英国病が深刻になった時に登場したのがマーガレット・サッチャー首相で、やはり鉄の女と言われながら信念を貫き通し自国を活力ある国に立ち直らせた。
 チャーチルは少年時代から騎兵訓練や戦略研究に明け暮れ途中で政治家に転向し、時代が必要とする場面に登場し長年研さんした能力を遺憾なく発揮した。
 サッチャーも幼少時代から父の薫陶を受け自立する女性の資質を磨き、ついに国家を自立させるに至った。
 翻ってわが国の2世議員は地盤・看板・カバンを一世から受け継いでも、政治家に必要な資質を受け継いでいるかどうか疑問である。
 今や、日本は明治維新に劣らぬ根本的変革を迫られている。
 チャーチルやサッチャーのような政治家が待望されている。

 わが国では、政治家も官僚も国民も、政党も行政組織も民間企業も、どの組織も責任を取らない社会である。
 場当たりの対策でお茶を濁し本来在るべき姿を真剣に考える風土が欠落している。
 明治維新の廻天劇に登場した高杉晋作、山県有朋、伊藤博文などを輩出させたのは吉田松蔭の松下村塾である。
 吉田松陰は単なる知識を与える教育ではなく必ず実践を行うことを求める教育を行った。
 机上の理論ではなく現場や実践に裏付けされた理論に基づく政策でなければ国民に支持されないのである。
 現内閣は公明党に逃げられるのが怖くて効果のない定額給付金をばらまこうとしたり、行き当たりばったりの対策である。
 効果のない定額給付金と野党も国民も分かっているので第2次補正予算案に反対してきたが、与党は政局優先で聞く耳を持たず、ズルズル引きずった。
 アメリカでは予算案を野党に反対され与党は意をくみ修正して成立させた。
 それが本来の民主主義である。
 日本の与党は修正する気は微塵もないらしい。
 参院の意志は国民の意思でもある。それを尊重しない政権も政党も存在する意味がない。

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