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「グローカルの盲点」(平成20年11月コラム)

連載:Mr.Ishikawaの時事コラム
「グローカルの盲点」(平成20年11月コラム)

 「グローカル」という言葉が流行した時があった。
 「グローバル(Global:地球的規模、包括的)」と「ローカル(Local:地方的、限定的)」を合わせた造語で「グローバルに考え、ローカルに行動する」という意味である。
 この言葉の持つ意味が重要であることは変わらず、ますます重要になっているが、実際に実行することは大変難しい。特に、近年の諸問題を考えるとグローカルの盲点が顕在化しているように思う。
 その1は、地球温暖化問題。
 南極や北極の氷だけでなく高地の氷も解け出している。
 ヒマラヤ山脈の氷河の減少がここ30年ほどの間に加速し、このままのペースだとあと20年程度で消滅すると予測されている。 仮にそうなるとどうなるか。 ヒマラヤ山脈の氷河はインダス河、ガンジス河、長江、黄河の水源である。 氷の溶解による大河の洪水と、そのあとにくる大旱魃という災害がインド、中国で起きる可能性がある。 今は経済成長が著しい両国だが人口は合わせて25億人、世界の人口の37%を占める。 両国で水不足から食料危機、環境危機が起き日本に食料援助や安全を求め難民が押し寄せてくるかもしれない。
 日本も温暖化で農作物の栽培適地は変わろうが、周囲の海が緩衝剤となり大陸ほどの気候激変は起きないだろう。 日本ではそのような事態に備えた水資源対策、食料自給対策、難民受け入れの対策は考えられていない。全くグローカルではないのである。
 その2、自動車産業問題。
 トヨタ自動車の工場が宮城県に進出したとあって東北地方の関連メーカーの受注期待が高まり騒然となっている。 だが、自動車産業は既に衰退産業である。 よい例が米国の自動車産業である。だだっ広い国土を走るので自動車も大きくならざるを得ないが、燃費が悪く家計を圧迫するとあって米国産自動車は売れなくなった。 自動車は燃料がなければ走れない。 だが、その燃料が底をつく時期が迫っている。 中東には依存できなくなりロシア、アフリカに依存しなければならなくなっている。 米国はこれまでは中東から安い石油を調達してきたが、産油国が供給を抑制し始め価格が高騰し、トウモロコシ由来の燃料に切り替え始めた。 ところが日本は依然として石油依存のままである。 山形県は自動車依存が高いにもかかわらず一部地域でBDF生産は行われているが使用できる乗用車はないに等しい。 世界中で自動車燃料の再生可能エネルギーへ転換が進んでいるのに日本も本県もグローカルでない。
 その3は金融危機問題。
 米国のサブプライムローンは世界の株式市場を直撃し実態経済を弱体化させ世界恐慌までいきかねない。 お金は国境を越え動きまわり、経済をまさにグローバル化した。 日本の資金も海外へ投資する量が増え、海外で得た利益が日本に戻ってくる規模の方が、貿易収支の利益の規模を上回るまでになってしまった。 モノづくり立国からカネづくり立国へ変化している。 しかし、サブプライムローン問題は、日本の資金が海外で稼ぐことへの警鐘でもあったのではないか。 資金が海外へ流出し海外から国内に流入する一方、国内、県内の産業は資金不足で新たな構造への転換が遅れ、産業イノベーションが進まず、ニュービジネスも起こらず産業経済は衰退の一途にある。 資金流通にグローカル破綻が起きている。 「経済」の語源は「経世済民」、つまり社会を治め人々を救うことである。資金の流れは経済を見失っている。
 以上3点はグローバルとローカルとが噛み合わなくなったグローカルの盲点である。 この逆境から逃れるために必要な思考法は、第1に、単眼でなく複眼で事象を見て多角的な視点で判断し行動すること。 第2に、身近な足下の動きが健全かどうかを倫理観に照らして判断し自立度の高いローカル経営に当たること。 第3に、表面的な現象だけでなく本質を見据える視点でグローバルな動きを観察すること——ではないか。

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