このページを印刷する

「日本病」治療は地方自治体から(平成20年6月コラム)

連載:Mr.Ishikawaの時事コラム
「日本病」治療は地方自治体から(平成20年6月コラム)

 関西学院大学出版会から『自治体職員がみたイギリス』という名の本が出版された。執筆者の中には山形市役所職員が9人、鶴岡市役所職員と県庄内総合支庁職員が9人おり、県内の11人がテーマごと分担して2006年に視察した英国行政の見聞録を書いている。
 イギリスは今の日本の中央政府や地方自治体が導入している、公共事業の民営化、独立行政法人、PFI、指定者制度、強制競争入札、公会計制度改革、パブリックコメントなど一連の行財政改革(New Public Management)を始めた国であり、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカなどアングロサクソン諸国を中心に広がる行財政改革をリードしている国である。

 この本の発行は、大隈重信の発案で明治4年に岩倉具視を正使とし各分野の107人が12カ国を回った「岩倉使節団」を思い出させる。この使節団の視察結果は明治政府が国家の基礎をつくった際の参考になった。
 法律をはじめ医学や音楽などあらゆる分野についてドイツ、フランスの制度を手本に日本の制度をつくる契機となった。
 飛鳥時代には高句麗や百済を通じて中国の仏教文化を基礎に国づくりが行われ、大戦後には戦勝国アメリカから民主主義を導入して国づくりが行われ、そして今、イギリスが手本になっている。ドイツ、フランスの成文法主義に対しイギリスは判例法主義である。明治政府がイギリスを手本にしていたら、今の日本は違う形の国になっていただろう。
 イギリスは18世紀の産業革命の発祥の地で最も早く工業化し自由貿易を展開、第2次大戦前まではイギリスのポンドが世界の基軸通貨であった。しかし、19世紀後期から産業が衰退し始め、1960年代には福祉国家に変身し、経済不況が長く続き国力が衰退する深刻な「英国病」に陥った。
 それを救ったのが1979年に登場したサッチャー首相で、鉄の意志でNPMを断行した。公共事業を民営化し海外の資本を積極的に受け入れた。国外企業の参入で国内産業が盛んになる「ウインブルドン現象」まで起きた。何より英語は世界の共通言語なので世界中とコミュニケーションがとれる有利さがある。そして、今やロンドンは世界の「クリエイティブ産業」をリードする存在になり、世界中から有能な人材が集まる国になり、みごとに「英国病」から脱出した。

 片や日本はどうか。島国なのはイギリスと同じでも、日本は英語が苦手で世界へ向けて開放されていない上に、政府と地方自治体は返済不能な累積債務を抱えながら行財政改革は看板倒れで相変わらず無駄遣いが多く、産業の国際競争力も弱まってきて資本は海外へ逃げ出し、国家統治システムも機能不全に陥って、「日本病」は回復困難な様相を見せている。
 イギリスは大英博物館が象徴するように栄光の過去のストックがあるのに対し、自転車操業してきた日本の場合はストックが乏しく富の層が薄く、人口まで再生産不能の状態になりコミュニティー崩壊の危機に見舞われている。「英国病」から脱出したイギリスのように、果たして日本は「日本病」から抜け出せるか?
 『自治体職員がみたイギリス』は示唆に富む本であるが、忘れてならないのはイギリスは伝統的に地方が強い権限を持っており、判例法(コモン・ロー)であるのも共同体ごとに異なる慣習やルールの地方の法(ロー)を全国共通(コモン)にし恣意性をなくした経緯がある点である。
 また、地方の代表である国会議員も日本では議員20人以上の賛同がなければ法案提出できないのに対し、イギリスの場合は議員1人で法案提出できる。従って、地方の住民も議員1人を味方にすれば国を変えることができるのである。つまり、地方が国を変える意識を持たない限り「日本病」は治癒が難しいのであり、『自治体職員がみたイギリス』を執筆した県内の自治体職員11人にはその気概をもって日本国を変えて欲しいのである。

[PR]