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【花と歌と国家】(平成20年4月コラム)

連載:Mr.Ishikawaの時事コラム
【花と歌と国家】(平成20年4月コラム)

『 川は流れて どこどこ行くの   人も流れて どこどこ行くの そんな流れが つくころには  花として 花として 咲かせてあげたい 泣きなさい 笑いなさい    いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ』

 この歌を聴くと胸に込み上げてくるものがある。
 沖縄県石垣市出身の夏川りみ(本名・兼久りみ)が歌ってヒットした歌「花(すべての人の心に花を)」である。最近の若者が歌う歌は、歌詞と曲とが調和しておらず、全く心に響かない。
 自然や季節やそれらに根ざした心を歌ったものがない。
 ただ単に声を張り上げているだけの歌だったり、フガフガと日本語の発音になっていない歌が多くなったと思うのは筆者だけだろうか。

 その点、「花」には遠い南の沖縄に咲く花や自然や人の心の内を思いやらせる力がある。
 沖縄に駐留する米軍海兵隊員が起こす事件がいつまでたってもなくならない。女子中学生暴行、住居不法侵入、連続放火、強盗……などなど。こんな常態を放置してきて日本は果たして独立国家と言えるのか。
 日米安保条約の第6条に基づき制定された日米地位協定の第9条で米国軍人は外国人登録の必要がなく、営外居住の場合は誰がどこに住んでいるかも把握できない。第17条で米国軍人の犯罪は米国側に優先的な裁判権が与えられ、日本国内での事件でありながら米兵に治外法権を認めている。
 日本の政治家は口では「国民のための政治」と言いながら実態は沖縄県民を人身御供に差し出しているようなものだ。沖縄県人の憤りはいかばかりかを思い、無法を放置しているわれわれ本土人のふがいなさを恥じるばかりだ。
 沖縄県の歴史は艱難辛苦である。太平洋戦争の昭和20年3月から6月まで唯一の国土戦が沖縄本島で行われ、20万人が死亡、負傷した。その後も米国軍の占領下に置かれ、日本に復帰したのは昭和47年5月である。長い年月を恐怖や悲しみや苦しみに耐えながら生きてきた日本人がいるのだ。実は「花」はやはり沖縄県人のミュージシャンである喜納昌吉の作詞・作曲である。喜納氏は以前から「すべての武器を楽器に」と訴えてきた人である。「花」にはまさに悲しみや苦しみに負けず希望を持って生きていこうと訴える歌であるように思うのは錯覚か。だが、悲劇の土地から生まれた歌だからこそ無関係な人にまで感動を与えるのではないだろうか。
 同じように心を打つ歌に台湾の「梅花(メイファ)」がある。テレサ・テンが歌って日本人にも知られるようになった歌だ。
 しかし、テレサが歌えば愛らしい歌に聞こえるが、子供が歌えばかわいい歌に聞こえ、軍人が歌えば勇気が湧いてくる不思議な歌である。そして、梅の花は実は台湾の国花である。「空いっぱいに咲く梅の花は寒い中で花を開かせ忍耐強く氷雪も風雨も恐れない……」というような意味の歌詞である。梅の5枚の花弁は立法、司法、行政、監察、考試(公務員選考など)の5権、3本の雌しべは民主、民権、民族の3民主義を表すのだそうだ。その台湾は対岸の大陸に数多く砲列を敷くミサイルや増強される軍艦に脅されながら生き続け、しかも国際社会から独立国家として認められていない。そんな苦境の中で歌われる歌だけに、この歌が持つ優しさの中の強さを感じざるを得ない。

 ところで、「花」の中に出てくる花はどんな花なのか、一度喜納氏に聞いてみたいものだ。ハイビスカスなど沖縄の花なのか、それともかつて同じ統治下にあった台湾の梅なのか、日本人が好きな桜なのか…。しかし、タイトルの副題「すべての人の心に花を」を考えれば、「平和」や「希望」といった抽象的なものを指しているようにも思える。そして、日本の本土では平和ボケ、希望喪失が蔓延している。「花」の歌に魅せられる人が多いのは、果たして、本土なのか、沖縄なのか。日本人が海外へ出る時に持つパスポートの表紙には16弁の菊の紋が入っている。だが、これは日本の国花ではなくて皇室の紋であり、考えてみれば奇妙なことである。
 山形もようやく雪が解け、暖かさが増し、心に開放感が満ち、天気予報の桜の開花予想が気になる季節になってきた。

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