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仙山交流チャレンジマーケット

仙台と山形の生産者が、農産物・水産物・加工食品などを自ら販売・PRする産直市「仙山交流味祭」。その山形側の主催者団体「仙山交流チャレンジマーケット」では、震災後いち早く交流仲間のいる避難所へ炊き出し支援に行き、その後5年間で約120回、宮城県内の被災地で炊き出しを行いました。仙台と山形との日頃の交流が、災害時にどのように活かされたのか、元会長の新関徳次郎さんにお話を伺いました。
やまがた震災支援活動アーカイブ Archive number 012
仙山交流チャレンジマーケット
せんざんこうりゅう


新関徳次郎さんと妻のさとみさん 新関徳次郎さん のプロフィール
1957年(昭和32年)、山形市生まれ。1927年(昭和2年)に創業した醤油・味噌醸造の老舗・山二醤油醸造株式会社の3代目で代表取締役。
仙山交流チャレンジマーケット会員・さとみの漬物講座企業組合会員。
山形ふれあいマーケット会長をはじめ山形県グリーン・ツーリズム推進協議会副会長、山形市社会教育委員を歴任。大曽根餅つき保存会会長でもあり、地域で特色ある食育活動を実践している山形県認定食育名人として、手作り味噌講座・餅つき体験講座・漬物講座・おいしい田舎ごはん講座も行っている。
・連絡先/023─643─2513
・E-mail ymn-shun(a)isis.ocn.ne.jp ※(a)を@にしてお送り下さい

仙山交流チャレンジマーケットについての詳細は・・・
WEBサイト


支援活動の経過
2011年
3月
26日
名取市の館腰小学校避難所と高舘小学校避難所で炊き出し支援。
その後、宮城県の被災地各地に出向き、5年間で約120回の炊き出しを実施。
10月 「仙山交流味祭inやまがた 復興支援市~震災を超えて、おいしい再開~」開催。
12月 仙台市泉区の桂連合町内会と「災害時における応急生活物資供給協力に関する協定」を締結。
仙台・山形で産直の味祭を開催

 〈新関〉 以前から山形県村山総合支庁の地域振興課では、宮城県の仙台地方振興事務所と連携して、仙台地域と山形・村山地域の交流連携、いわゆる「仙山交流」を推進していたんですよ。
 その事業の一つとして2004年(平成16年)から、両地域で生産された農産物や水産物、加工食品、地域の特産物を持ち寄って、生産者自ら販売・PRする産直市を開催してきました。それが、山形駅西口広場で年1回開いている「仙山交流味祭inやまがた」と、仙台の勾当台公園で年2回開く「仙山交流味祭inせんだい」です。
 山形側では、このイベントに出店する農業・食品関連の事業者が実行委員となって「仙山交流味祭inやまがた」を主催しています。私が会員になっている「さとみの漬物講座企業組合」など、そのメンバー約30団体を組織化して、2008年(平成20年)に発足したのが『仙山交流チャレンジマーケット』なんです。
 仙台側も同じように出店者のグループ「仙山交流味祭せんだいネットワーク」が主催しています。それで、この両地域の団体が、山形でイベントがあるときには仙台からおいでいただいて、仙台で開くときは私たちが山形から出かけていって一緒に販売して、交流しながら情報交換したり、親睦を深めてきました。そういう関係で、宮城の漁師の方とか、水産加工の方とか、知り合いがたくさんいたわけです。


交流仲間の避難所へ炊き出し支援

名取市の館腰小学校避難所と高舘小学校避難所で炊き出し(2011年3月26日)

 2011年(平成23年)3月11日、大地震が起きました。宮城県沿岸に津波がきたということで、すぐにこの知り合いの方たちに電話しましたが、連絡がとれませんでした。「たぶん相当数の方が亡くなっているのではないか」と心配しながらも何もできずにいましたが、1週間くらいたった頃にようやく名取市の閖上(ゆりあげ)で干物をつくっているマルタ水産の社長の相澤信幸さんと連絡がとれたんです。相澤さんが「いま名取の高舘小学校避難所にいる」というので、さっそく炊き出しに行くことにしました。

 最初に炊き出し支援に行ったのは、3月26日です。『仙山交流チャレンジマーケット』のメンバーの皆さんから米や餅、芋煮、そば、りんご、なめこといった食料品のほか、歯ブラシや歯磨き粉、マグカップ、マスク、タオル、ポケットティッシュなどの日用品、老眼鏡や啓翁桜の支援物資をいただいて、ガソリンのないときでしたが、ワゴン車とトラックを出してもらいました。
 その車に支援物資を積んで8人で名取市に出かけ、館腰小学校と高舘小学校の2か所の避難所に届けて、そば200食と餅入りの特製芋煮300食をふるまいました。芋煮の仕込みは、避難所のお母さんたちにも手伝ってもらったんですよ。温かいそばと芋煮は、とっても喜ばれましたね。
 この頃から徐々に、被災地の知り合いの方と連絡がとれるようになってきたので、亘理町(わたりちょう)や石巻市にも炊き出しに行きました。連絡がついたところには全部、すぐに炊き出しに行くことにしたんです。
 行政のほうは、どこかに炊き出しに行きたくても、どこに行けばいいのか、その頃はなかなかマッチングしない状況でしたが、私たちは直接、被災地の方と連絡をとって行くかたちにしていたので、早い段階で行動できたんですね。


名取市の館腰小学校避難所と高舘小学校避難所で炊き出し(2011年3月26日)

 4月の上旬くらいまでで5、6回は炊き出し支援に行きました。どこかから助成金をもらったわけではなく、材料や経費は全部、自分たち持ちです。被災してまもない時期に、ましてや知り合いが来てくれたというので、すごく喜んでいただけたんだと思います。
 仙山交流の仲間は、海の男で無骨な人が多いんですが、その人たちが「山形に何かあったら、今度は俺たちが真っ先に支援物資をトラックいっぱい積んで行くからな」と。この言葉に一番感動しましたね。
 この後もしばらくの間、東松島市・南三陸町・山元町・女川町など宮城県内の被災地で炊き出し支援を続け、その後5年間で約120回を数えました。



阪神淡路・中越での支援経験を活かす

石巻市大指地区の避難所で炊き出し
(2011年4月16日)

 じつは私は、阪神淡路大震災のときに青年会議所の一員として、新潟の中越地震のときには大曽根餅つき保存会で支援に行きました。そのときの経験が役に立ちましたね。
 阪神淡路大震災で行ったときは震災後40日くらいのときで、被災した人たちは体育館で暮らしていました。大鍋で芋煮をつくってふるまったんですが、反応が少なかったんですね。それが、お湯を沸かしたら、とくに女性がポットを持ってきて、「お湯を分けてもらえないか」と言うんですよ。コーヒーを飲んだり、お化粧するお湯がほしかったんですね。目から鱗がおちた感じでした。
 私たちは、地域の特産品・物産品のような自慢の品を持って行ってふるまおうという傾向がありますが、はたしてそれが被災した方の口にあうかどうか。自分たちの考えで、これなら喜んでいただけると思っても、実際のニーズとズレがあると思いました。
 中越地震のときは仮設住宅に行きました。400人分の餅を持って意気込んで行ったら、その日は日曜日で家の掃除に帰ったり、用事があって出かけたりしていて、思った以上に人がいなかったのです。それで、人数分でなく、そこに200人いたら100人分前後とか、だいたい半分くらいの人数を目安にしていけばいいとわかりました。


復興マーケット・復興支援市開催

石巻市大指地区の避難所で炊き出し
(2011年4月16日)
 震災から1か月ほど過ぎて4月も半ばになると、仙台市内もようやくライフラインが復旧してきましたが、まだまだ物のない時期で、宮城県のほうから『仙山交流チャレンジマーケット』に「とにかく山形の食材を持って来て売ってください」と要請がありました。それで場所を探して、青葉通りの山形銀行仙台支店の前を借りて、毎週火曜と木曜の週2日、復興マーケットを開きました。
 6月頃からは、村山総合支庁地域振興課の方と一緒に「仙山交流味祭せんだいネットワーク」の人たちが山形に来て販売できる場所を探しました。たとえば天童のスタジアムでモンテディオ山形の試合が開催されるときに、会場にたくさんの出店が並びますが、ここで格安のマージンで販売できるようにしたりしたんですよ。地域振興課の方は、各市町村にも出店できる場所やまつりなどの行事がないか、声がけをして力を尽くしてくれました。
 皆さん、商売人なので、それが一番喜んでもらえたかもしれませんね。商売されている方は、お客さんとのやりとりで元気をもらうといいますから、店を出すことが励みになればと…。6月くらいの段階では、「店を出す気持ちになれない」という方も多かったんですが、お誘いしているうちに、「じゃ、やってみようか」と立ち上がって、一回来てみると「気持ちも晴れた」と言われました。
 最初にやろうというときには、気持ちも体も重いし、その一歩が大変なようでしたが、早い段階で踏み出せたのはよかったのではないでしょうか。
 私たちも、各地で開かれるようになった復興市に呼んでもらって、出店しています。私は大曽根餅つき保存会の会長もしているので、この復興市のときには杵と臼で餅つきをして、盛り上げているんですよ。
 その年の10月には2日間、山形駅西口広場で「仙山交流味祭inやまがた 復興支援市~震災を超えて、おいしい再開」を行いました。このときは50店ほどが出店して、そのうち17店が宮城県の各地から来てくれて、やはり何か支援したいというお客さんで例年以上に賑わいましたね。
 震災から2年ほどたつと、『仙山交流チャレンジマーケット』としてできる支援は、ほぼ終わりました。その後は、これまで通りに一緒にいろんなイベントに出て、交流しながら、お互い山形に来てもらったり、仙台に行ったりして地域の特産品・物産品を販売しています。支援をするとか、支援をされるという関係でなくて、「売れそうないいマーケットがあったら参加させてください。うちもいいマーケットがあったら紹介しますよ」というような関係に戻るのが一番ではないでしょうか。もちろん震災前より「仲間」になれた、絆が強くなったと感じています。


仙台・泉区の町内会と災害時協定

石巻市大指地区の避難所で炊き出し
(2011年4月16日)

 もう一つ、震災後に『仙山交流チャレンジマーケット』の新たな取り組みが始まりました。仙台市泉区の桂連合町内会と「災害時における応急生活物資供給協力に関する協定」を結んだのです。
 震災のときに、スーパーなどがなかなか営業できず、しばらく食料が手に入らなくて住民が苦労したことから、桂連合町内会の川上会長が、災害が起きたときに優先的に物資を供給してくれるような相手を探していました。それで、以前から桂の荘内銀行桂ガーデンプラザ支店で定期的に物産展をやっていた『仙山交流チャレンジマーケット』に申し入れがあって、協定を結ぶことになったんですよ。

 協定は、もしも何か災害があった場合にはまっ先に桂地区に行って、物資提供ではなく、販売を行うこととしています。そして、毎年の防災訓練にも参加して、炊き出し訓練の協力と物産販売を行っているんですね。日頃からの交流の積み重ねが、災害時の支援に大きく影響することを、この震災で学びましたから。こうした取り組みを、これからも継続していきたいと思っています。

 

 



〈取材:2016年5月〉


 取材を終えて
たなかゆうこ
 日頃から「仙山交流」があり、その仲間が被災したことで炊き出し支援に行かれたというお話でしたが、その後、5年間で約120回も炊き出しを行ったと伺い、ただただ頭の下がる思いです。
 また、早い段階から「仙台交流味祭せんだいネットワーク」の方たちが山形で農産物や水産物を販売できる場を探されたとのことで、あらためて支援のあり方 について考えさせられました。 
たなかゆうこ
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