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原発被害救済山形弁護団

弁護士だからこそできる支援をしたい、という強い想いで結成された大弁護団。山形県内の弁護士64名がタッグを組んで、原発事故の損害賠償請求、そして生活再建のサポートを行っています。
やまがた避難者支援団体 活動インタビュー Archive number 010
原発被害救済山形弁護団
げんぱつひがいきゅうさい やまがたべんごだん


原発被害救済山形弁護団
原発被害救済山形弁護団事務局長 外塚 功さん のプロフィール

1950年村山市大久保生まれ。早稲田大学法学部卒業後、昭和56年に山形県弁護士会へ入会。平成14年度山形県弁護士会会長を務める。

原発被害救済山形弁護団
<各地区連絡先>
・山形地区(村山地方,最上地方):
 外塚功法律事務所 023-634-1515
 弁護士法人あかつき佐藤欣哉法律事務所 023-632-2070
 むかいだ法律事務所 023-666-6840
・米沢地区(置賜地方):長岡克典法律事務所 0238-40-0456
・庄内地区(庄内地方):わきやま法律事務所 0235-24-2543


支援活動の経過
2012年
4月
19日
原発被害救済山形弁護団結成
5月
12,13日
第1回 弁護団説明会実施
7月
6日
強制避難者第1回ADR申立て
2013年
7月
23日
第一次損害賠償請求訴訟
2014年
3月
10日
第二次損害賠償請求訴訟
5月
13日
第1回口頭弁論
2015年
3月
11日
第三次損害賠償請求訴訟
6月
23日
原発事故による避難者に対する住宅無償提供終了に反対する弁護団声明発表
9月
8日
第8回口頭弁論
原発被害救済山形弁護団とは
説明会の様子
説明会の様子

 「原発被害救済山形弁護団」は、平成24年4月19日に山形県弁護士会の有志が集まり結成しました。私たちは主に2本の柱を立てて活動しています。
 まずは、国や東京電力への損害賠償請求です。現在、東電が支払うといっている金額は非常に低額で、原発被害を受けられた皆さんのこれまでの精神的苦痛、実損、またこれからの生活を保障するものとしては完全に不十分な状況です。さらに請求手続は煩雑で、賠償金の支払いがスムーズに進んでいないのが現状です。
 その状況を打開するために、私たち弁護士が一丸となって、弁護団を結成しました。山形県内に避難している方が、できるだけ早期に賠償金の支払いを受けることを目指しています。具体的な手順としては、まず世帯ごとに登録カードを提出していただきます。そうしますと担当弁護士が決まり、個別に相談をお受けし、個々の状況を把握してから請求の準備に取りかかります。

原発事故による損害賠償の請求については、東京電力との直接交渉ではなく、「原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)」を通して申立てを行っています。私たちと同じように取り組んでいる弁護団は全国にありますので、そうした各地の弁護団とも連携しながら、東電が提示している損害賠償額以上を求めています。
2つ目は生活再建への援助協力です。借り上げ住宅の安定・充実などに関して、私たちが持つ専門知識を活かし、皆さんが安心して生活できるよう生活再建に向けてのサポートを行っています。


弁護団結成までの苦悩
弁護団ニュースも発行
弁護団ニュースも発行

 東日本大震災が発生した直後、私は日弁連(日本弁護士連合会)の要請で南三陸町に向かいました。避難所となっている体育館などで、被災された方の相談をお受けするためです。現地に到着するまでは、弁護士として少しでも皆さんのお悩みを解決できれば、と意気込んでおりましたが、町中が津波で流され、町自体がこの先どのような復興を進めていくのかの目途が全く立っていない状況で、個々の生活をどのように建て直したらよいのか…。即解決へと結びつけるアドバイスができないという現実に直面しました。ひとまずお話をお聞きすることで、ご相談者の気持ちが少しでも軽くなれば…ということのみに終始しました。

 心残りな気持ちを胸に山形に戻ると、県内では福島の原発事故から避難してきた多くの方が、避難生活を送っていました。山形県弁護士会でも、震災直後から相談窓口を開設し、二重生活による生活困窮などの相談にあたっていました。しかし、先の南三陸町での歯がゆい経験が思い出され「ただ相談にのるだけでいいのか?救済するための具体的なアクションを起こさなければならないのではないか?」という想いが強くあふれました。

丁寧に説明する弁護士の皆さん 丁寧に説明する弁護士の皆さん

 ここからが0からのスタートでした。弁護士会に所属する仲間に自分の想いを伝え、まずは少数でも賛同してくれたメンバーと活動案を作り、他のメンバーにも想いを伝えていきました。
 最初は「強制避難者に対しての賠償請求ならできるだろうが、区域外の自主避難者に対してできることはあるのか?弁護団を立ち上げても無力なのではないか?」と疑問視する声もありました。しかし、呼びかけを続けていくことで徐々に想いが伝わり、山形県弁護士会に所属する弁護士の6割強、若手と中堅弁護士のほとんどが参加し、山形県では1985年の豊田商事事件以来となる大規模な弁護団が発足しました。

 結成当時、山形県内には1万3000名の方が避難生活を送っていました。当時、国から示された自主避難者に対する賠償金は、妊婦と子どもが20万円。その他の大人は8万円という「一時金」の支払いのみ。この金額が支払われればそれで終了というのです。そんな条件を受け入れるわけにはいきません。私たちは、すでに弁護団を立ち上げ活動を進めている新潟県の弁護団と連絡を取り合い、お手本にしながら、もっと高額のしかるべき賠償金の支払いを国と東電に働きかけることにしました。
 2012年の5月、このことを避難されている方に伝えるために第1回弁護団説明会を開いたのですが、実はこのときの参加は僅か40世帯。思いがけず参加者が少ないという結果に拍子抜けしましたが、ここであきらめるわけにはいきません。その後も粘り強く呼びかけを続けることにしたのです。


権利を守るための闘い

 出だしこそ勢いがなかったものの、その後、何度か説明会を開催し、呼びかけを続けたところ、約800世帯が登録をして下さるまでになりました。そして2013年7月23日の第一次損害賠償請求訴訟、2014年3月10日 第二次損害賠償請求訴訟、そして2015年3月11日の第三次損害賠償請求訴訟と、訴えを続けております。
現在は一時帰宅の費用や、福島と山形で二重生活をする夫婦が週末に行き来するための交通費、二重生活が原因で増加した家計負担の補助、そして寒冷地で暮らすために必要な暖房器具や防寒具などの購入費用の補助など、少しずつ実費賠償が行われるようになってきました。しかし経費、実費が支払われるのはあたり前です。苦しみに対する慰謝料が現在1円も認められていないのは大きな問題なのです。

 加えて今闘っているのは、国が発表した、「損害賠償と借り上げ住宅の打ち切り」です。賠償の打ち切り、そして借り上げ住宅が来年2016年の春に打ち切りになったら、その後の生活基盤はどうなってしまうのでしょうか。避難者世帯には、来春高校進学を控えている子どもさんを持つ家庭があります。もちろん小学校や中学校入学など、節目を迎える家庭は多くあります。進路を選択するにあたり、住む場所がはっきりしていないということがどれだけ精神的不安を与えるか、想像に難くありません。

法テラスは山形市七日町のNANA BEANS 8階にある 法テラスは山形市七日町のNANA BEANS 8階にある

 私たちは、打ち切り案の撤回、そして借り上げ住宅を現在の1年更新ではなく、むしろ3~5年と長期契約にすること、そして打ち切りにする前に、せめて家賃の半額援助など、段階的に進めていくよう求めていきたいと思っています。
 このように、避難をされている方の生活は崖っぷちに立たされています。また、避難者の家族間でも意見が一致していないことも多く、例えば福島に住む祖父母から「なぜ帰ってこないのか」と責めを受けている母子の例もあります。

 私は、「山形で避難生活を続ける」という選択も、「福島に戻って家族一緒に暮らす」という選択も、どちらも尊重されるべきだと考えています。どちらかが差別されてはいけないのです。自らが自らの未来を選択する権利をどこまで守れるか。まずは、東電、そして国が責任を明確にして、これまでの反省、そして未来へ課題にちゃんと向き合ってほしいと思うのです。
 弁護士はホームドクターです。法テラスにいらしていただければ費用は無料ですので、ホームドクター、おかかえ弁護士を雇っているというような気軽な気持ちで、ぜひご相談をいただければ嬉しく思います。



<原発被害救済山形弁護団>
団長 安部敏
副団長 三浦元 山上朗
事務局長 外塚功
事務局次長 田中暁 向田敏
米沢地区支部長 高橋敬一 米沢事務局 長岡克典
庄内地区支部長 脇山拓 庄内事務局 日詰直史

〈取材:2015年9月〉




 取材を終えて
本間明子
 外塚弁護士は「原発事故との闘いは、人類史上初の闘いと言ってもいい。原発事故はなぜ起きたのか、このことを明確にするには時間がかかるけれども、これからの未来に向けて、今、法的な責任を明確にする必要がある。山形県は自主避難者が全国の中でもっとも多い県なので、まず山形にいる我々が動き、この問題を全国に、そして世界に訴えていかなければ。」とおっしゃっています。現在、中心となって活動していらっしゃる若手・中堅の弁護士の皆さんが、これからの山形、そして全国に暮らす人々の「権利」を守っていくのですね。私たちもしっかりと問題に向き合い、勇気を出して立ち向かわなければと思いました。
本間 明子
03201