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特定非営利活動法人オープンハウスこんぺいとう

 介護、託児等の事業を展開しながら、15年もの間地域の人たちの「居場所づくり」に尽力している「NPO法人オープンハウスこんぺいとう」。新庄に避難されてきた方々の居場所づくりにも取り組み、同じ地域の仲間として接しながら様々なサポートを行っています。その内容について、理事長の川又真貴子さんに伺いました。(取材:佐藤 昌子)
やまがた避難者支援団体 活動インタビュー Archive number 007
特定非営利活動法人オープンハウスこんぺいとう
とくていひえいりかつどうほうじん おーぷんはうすこんぺいとう


おだまきの家
  特定非営利活動法人オープンハウスこんぺいとうのプロフィール

2001年、「あなたも私も共に生き活きと」をモットーに設立。事業の範囲は、居宅介護事業所、訪問介護事業、通所介護、学童預かり、障がい児預かり、24時間託児・宅老、病児預かり、日中一時預かり、若者相談室運営と幅広い。0歳児から高齢者まで年齢関係なく、地域に住む人たちを見守りながら支援をしている。平成22年には内閣府特命担当大臣子育て家庭支援部門功労賞表彰、毎日介護賞山形支局長賞、山形県男女共同参画社会づくり功労者等知事表彰を受ける。

理事長 川又真貴子さん

特定非営利活動法人オープンハウスこんぺいとう理事長/「災害支援ネットワーク47」副代表

まだ介護保険制度が始まる以前に看護師として勤めながら子育て、同時に母親の介護を行った。「困った時に手伝ってくれる人がいたら」という、その時の自身の経験から、オープンハウス こんぺいとう「病児預かり」と「宅老所」を設立。その後、“今できる人ができる事で支え合いたい”という思いで、広く事業を展開している。



山形県新庄市住吉町1-12 TEL 0233-29-2301
HP: http://www.konpeito.jp
E-mail: info(アットマーク)konpeito.jp
※(アットマーク)を@にしてお送りください。



支援活動の経過
2011年
4月~ 南三陸町大上坊、歌津地区などの支援に入る
6月~ 松島湾内の4つの島の支援に入る
7月 「居場所作り」をスタートさせる
8月

新庄市市民活動交流ひろば「ぷらっと」を中心に市内NPO「災害支援ネットワーク47」を立ち上げる

12月 浦戸諸島へ山形県より支援に入っている方との顔合わせ
2012年
2月

第1回浦戸諸島震災復興支援関係者顔合わせ会を実施し島民を中心に浦戸復興支援連絡協議会を設立

2013年
  福島県「地域作り総合支援事業(ふるさと・きずな推進・再生支援事業)」補助金を利用し被災者支援を行った

松島湾内の小さな島での活動

 震災が起きてまもなく南三陸町や塩釜藤倉地区に入り、物資搬入、炊き出し、介護者支援を行ないました。6月から松島湾内の浦戸諸島に入りましたが、島は震災によって家も店も舟も流され悲惨な状況。その上、もともと病院がない場所なので島民の不安もマックス状態でしたね。みんなで、どうすればこの4島をつないでいけるかをいつも話し合っていました。

職員は勤務の一環として

 震災後二週間過ぎた頃から、週末や祝日は被災地に行っていました。職員にも被災地の現状を見て考えて欲しいと思ったので、勤務の一環として同行してもらいました。

 最初は被害の大きかった南三陸町の中でも特に支援の手が入るのが遅い、大上坊地区を回りました。次に歌津地区。そこは職員や家族が流されたり、家族と共に避難してしまい介護員が少なくなってしまった高齢者施設に行きました。

毎月様々な企画で行う支援活動
7
「七夕つくろう」参加者へ最上地区への避難者に対する事業説明を行った。
9

避難者を講師として「ピザ作り交流会」同時に福島県行政より復興状況説明と現在の就労状況や生活相談を行なって頂いた。

11月

「温泉、芋煮新庄満喫ツアー」庄内地区支援団体との共催で避難者交流会実施。

あわせて最上総合支庁の担当者より雪国暮らしでの生活指導や困りごと相談及び福島県の行政担当者からは、帰ってからの就労状況や生活相談を受けつけた。

12月

避難者を講師に「クリスマスケーキをつくろう」実施

12月 浦戸諸島へ山形県より支援に入っている方との顔合わせ
1月

「昔の遊び体験」実施

 3月

 やまがた絆の架け橋ネットワーク共催及び最上地区においての各ネットワーク関係者の協力で「山形満喫・雪遊び」県外の避難者へも呼びかけを実施し、大勢の参加者があった
於:舟形若あゆ温泉 協力::舟形町

炊き出し
炊き出し

 現場では高齢者や介護員が一日二食のご飯と500mlの水で急場をしのいでいる様子を目の当たりにしました。私たちのメンバーには保育士、看護師、介護士がいたのでプロとして支援できること、また、寝たきりの人たちの清拭やリハビリなど男性の力を借りてやれることを分担しながら支援してきました。山形からは米やおかゆ、オムツなどを持って行きましたね。又島の方では、周りが海なので自給自足の生活でした。炊き出しに、知り合いのラーメン屋さんを新庄から連れて行ったときはすごく喜ばれましたよ。こうして、支援の手が入っていない各地区で活動を行なっていたんです。思人が集まり寄り添う事によって様々な事象が生まれ、人の大切さと達成感を感じ、新たな課題と共に前に進んで行く事を学んできました。


居場所づくりを本格化

 島での支援について始めのうちは無償で行なっていましたが、7月から公益財団法人さわやか福祉財団補助金を頂き「居場所作り」をスタートさせました。「青空喫茶」や仮設の一部屋を借りて高齢者が集まる居場所を開設し地域交流の場や引きこもり防止を行ないました。

 また、新庄市内の花店の協力で広範囲にひまわりの種を植えたり、避難所になっている小学校へ向かう道筋には紫陽花や様々な花を植えてきました。今も元気に咲いていますよ。10月には厚労省の方とさわやか福祉財団の担当者から島の状況を見てもらい、災害翌年2月には支援者と住民が一緒に協議会を作り、住民のニーズを理解しながら支援活動を行っていくことにしました。12月になるとメンバーが産業、観光、福祉に別れ、それぞれの担当者たちとネットワークをつくっていきました。私は福祉の担当でしたので、被災地で福祉や医療の輪を広げていきたいと思い、少しでもリラックスして話をしてもらえるよう、例えば温泉に同行したり、避難所等で話を聞いたりしました。


得意分野を活かし、息の長い支援を

 また、被災地の隣県である山形県人だからこそできることがあるはず…という思いから、新庄・最上地域のNPOやボランティアグループ、個人を集め、被災地を支援する連携体制として「市民活動交流ひろばぷらっと」を中心に「災害支援ネットワーク47」も立ち上げました。47というのは、新庄と塩釜を結ぶ47号線のこと。自分たちの得意分野を活かし、足りないところを補い合うことで、息の長い支援ができると考えたからです。

 また、会員の中には個人で石巻に支援に入っている方もおり、最上地域の会員同士同じ手ぬぐいをつけて、炊き出し・片付け・物資の提供・イベント・地元の産業を応援する取り組みなど、多くのプロジェクトを実践してきました。


避難者への居場所づくり
心強い、お母さん達へのサポート
心強い、お母さん達へのサポート

 新庄に避難している人数はそれほど多くなく、当初は50人程だったでしょうか。ほとんど、福島県から避難されてきた方達でした。でも、一年目はどの地域にどなたが避難してきたのかも把握できない状況でしたが、従来から「こんぺいとう」では子育て中のお母さん達のサークルや高齢者のお茶飲み会など交流の場を開いており、その場を利用し地元だけでなく避難して来られた方達にも参加してもらえるよう告知していきました。そうして、少しずつ人数などを把握していったんです。

あゆ温泉で雪遊び
あゆ温泉で雪遊び

 地元の親子と親交を深めながら新庄での子育ての情報交換や、仲間づくりの場を提供していきたい…。高齢者の居場所作りにもつなげていくことで安心して暮らすことができるように、長期的に支援していきたい…そんな思いから、様々な交流会やイベントを実施しました。最初の年は雪道の運転の仕方や屋根の雪下ろしのことなど、雪国で暮らす時の注意点をお話する機会を設けたり、雪遊びと温泉を楽しんでもらう舟形のあゆ温泉へのバスツアーや寒河江にさくらんぼ狩りに行きながら他地域に避難してきた福島の方達との交流企画なども。新庄と米沢に別れて避難しているご家族が、ツアーに一緒に参加して楽しんでもらったこともあります。

 また、福島からハローワークや行政の担当者を呼び、戻った後の就労や生活面での相談コーナーを設置したこともありました。

 そのうち、参加者から「自分を必要としてくれる場や役割がほしい」という声が次第にあがるように。それからは、例えば地元の子ども達に昔の遊びを教えてもらったり、一人ひとりが得意分野を活かした講座も開くようになりました。

 現在、当施設と交流している避難者は1家族になってしまいましたが、機会がある度に当施設で開催する行事に参加してくださり、先生の立場でご協力もいただいています。

昔の遊びに子ども達も大喜び
昔の遊びに子ども達も大喜び
地元の人たちと一緒に
地元の人たちと一緒に
 

 避難されてきた方もすでに4年半を過ぎ、同じ地域の仲間として、地元の人たちの中に溶け込みながら暮らしています。長く支援活動を続けていくためには、支援を特別なこととして考えずに普段の生活の中で時間や場所を共有していくことが大事なことかなと思いますね。

絆は糸が半分になること

 南三陸町のある地区の70代の区長さんのことばが心に残っています。「なんでも“絆”って使うけど、糸が半分と書いて“絆”。私たちは切れて半分になってしまったつながりをどう結んでいけばいいんだ?」と。仮設でコミュニティーがバラバラになり、やっと慣れたところで別の場所に移らなければならない現実。そうした中にあっても、住民が助け合い生き合う姿を時間の経過とともに風化させてはならない!

 復興への道はまだ続きます。災害を自分のものとして現地の方に寄り添い、語り継ぐことで、より多くの方に理解し共有してもらうためにイベント等を通じて呼びかけていきたいと思っています。

 
〈取材:2015年9月10日〉


 取材を終えて
佐藤 昌子
 ともすると、避難された方たちと接する時に必要以上に気を遣ってしまったりすることもあるかもしれません。でも、広く門戸を開け、普段と何一つ変わらない笑顔で受け入れてくれる川又さん。暮らしやすくするためにコミュニティーをつくる…。困っている人がいるから話を聞く…。文字にするとシンプルですが、支援活動の最も肝の部分であり、容易くできることではないはず。でも、いつも自然体で、人に寄り添いながら精力的に支援活動されている姿に、取材中、敬服のし通しでした。こうした方達の支援が、「半分になった糸」を結んでいくことに繋がっていくんだと思います。
佐藤 昌子
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