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真田 節子 さん

メイクアップスタジオ[アトリエミューズ]を主宰している真田節子さん。ボランティアメイクを行っていた経験を活かし、震災以降、一人で活動を始められたそうです。仮設住宅で行ったワークショップの内容や、心がけていたこと、見えてきた課題などをうかがいました。
やまがた震災支援活動アーカイブ Archive number 009
真田 節子 さん
さなだ せつこ さん

 メイクアップスタジオ[アトリエミューズ]を主宰している真田節子さん。ボランティアメイクを行っていた経験を活かし、震災以降、一人で活動を始められたそうです。仮設住宅で行ったワークショップの内容や、心がけていたこと、見えてきた課題などをうかがいました。

真田節子さん 真田 節子 さんのプロフィール
「美・ファイン研究所」小林照子氏に師事し、ハッピーメイク講座全課程を終了後、本格的に美容の道に入る。お客様のイメージに合わせたナチュラルメイキャップを得意とし、 誰にでも分かりやすく、美容の楽しさと必要性を伝えようと現在活動中。 また、特別養護老人施設で高齢者を対象にしたメイクの指導や、ボランティア活動にも積極的に関わっている。

真田節子さんについての詳細は・・・ アトリエミューズ企業組合


支援活動の経過
2012年
6月 ボランティアメイクをスタート。双葉町の仮説住宅内にある2ヵ所の集会所へ毎月1回ずつ訪問。
2015年
2月 現在、1ヵ所の集会所で継続中
「すぐに炊飯を」

 娘が出産を控えて入院していたので、震災当日は娘の上の子どもの世話をするために東京にいたんです。
 娘の病院からバスに乗って渋谷にある自宅マンションに戻り、ちょうどバスを降りたときでした。アスファルトがうねるように動き出し、周辺のビルもぐらぐらと揺れだして。何か落ちてきては大変だと、私が着ていたダウンの帽子を孫の頭にかぶせて抱きかかえ、いったん軒下に非難しました。
 信号は点滅、マンションへ戻るとエレベーターは停止していて、階段で上がっていきました。室内の電気は使えたので、何があってもいいいよう、まずは大量にご飯を炊いておにぎりにしたんです。ミネラルウォーターを求めてスーパーに行ったのですがもうガラガラで、インターネットの通信販売も1ヶ月待ち。放射能物質にかんする情報も錯綜していましたから、しばらくは孫を外に出すことは控え、飲み水は北海道の親戚から送ってもらって暮らしていました。
 山形に暮らしている実父のことも心配だったのですが飛行機も新幹線の切符も取れず、チケットを手配するまでも1ヶ月位かかって。酒田空港着の便だったので、家に到着するまでかなり時間がかかりましたね。同乗している人のほとんどが自衛隊や救援物資に関わる人たちのようでした。


ボランティアメイク

ボランティアメイク

 ボランディアメイクとは、おもに女性が対象になりますが、メイクを行う時間を通して心の活性化や癒しを促すことを目的にしています。いくつになっても、女性は美しくあることに喜びを感じるもの。アイシャドウや口紅で表情が明るくなると心が開かれ、お話することが億劫だった方がおしゃべりを始めるようになったり。直接的な治癒というより、イベント性を持ったコミュニケーションの一助として役に立ちます。
 東京で働いていた時期はメイキャップアーティストとして師事した小林照子氏に付いて、障がい者施設や特別養護老人ホームでこの活動を行い、介護福祉士の資格も取得しました。
 今回の場合も、身の回りの環境がいくらかでも安定した状態でなければかえって逆効果になるだろうと思い、機会があればと思っていたんです。
 1年位経って、「どうしたらいいかしら」と色々な方に相談したところ、『ぼらんたす http://voluntas-npo.com/』。の栗原さんとのご縁があり、「双葉町に行けますか?」というお話をいただきました。


メイクボランティア

 双葉町は福島県浜通り中部にある町で、私は仮設住宅地に作られた集会所におじゃましました。
 若い家族は山形や他県に避難されていて、双葉町にいらっしゃるのはみなさんご高齢の方で。お話をうかがうと、埼玉アリーナや東京ドームなど、4~5ヵ所の避難先を回って、ようやく地元での暮らしが始まったとのことで。若い人だって寝る場所を点々とするなんて大変なことなのに、不安を抱えながら、さぞかしお疲れだったろうと思います。
 私の震災当日の体験もお話しましたが、そんなこととは比べ物にならない、壮絶な時間を過ごされた方々です。年齢的にも先輩ですから、常に敬う気持ちを忘れずにいることを心がけました。
 ボランティアメイクは、お一人お一人をきれいにメイクアップして差し上げるのではないんです。お肌を整えてベースをつくるところまではお手伝いしますが、アイシャドウや口紅などはご自分で行っていただきます。なぜかというと、長い間ご自分のお顔を鏡で見たことがない方がほとんどですから、改めて眺めてみて、自分で色を付けていくことでお顔の変化がよく分かるんです。「あら~」とか「まあ~」と声が上がったり、慣れてくると女子高生のような笑い声もでてきます。
 メイクにあまり関心がない方にはネイルやハンドマッサージをさせてもらうなど、その方にあった方法でだんだんと打ち解けていただけるようなりました。


コミュニティのあり方
【きれいを贈る】企画に、平野集会所にて
【きれいを贈る】企画に、平野集会所にて

 これまでどんな慰問が嬉しかったですか?と聞いたとき、「幼稚園や保育園の子ども達が来てくれたこと」という答えが返ってきました。やはり小さい子ども達がもっている圧倒的なパワーは、すばらしいんですね。何よりも元気がもらえるのだと思います。それから、カラオケソフトが入ったiPadも配られていて、歌を楽しんでいる方もいました。選曲も年代にあったものがセレクトされ、機器を活用した新しいタイプのケアですね。

 仮設住宅に住める期間は決まっているので、2014年になるとぼつりぼつりと退居する方もでてきました。私は2つの集会所に毎月1回、代わる代わる訪問していましたが、1ヵ所は閉鎖になり、その後は隔月で通いました。継続してきて感じているのはコミュニティづくりの方法ですね。

福島県双葉町の方々と
福島県双葉町の方々と

 私が訪問した当初は、同じ双葉町出身の方でも昔からの顔見知りばかりではない様子だったのですが、月日を重ねるごとにみなさんの親睦が深まっていく様子が感じられました。「絆さん」と呼ばれる調整役のような役割を担う方も出てきて、血縁ではないけれど、共に苦労を乗り越えてきた仲間として絆が深まっていったのだと思います。
 復興住宅が用意され、子どもや孫の家族と同居するべきかどうか。気兼ねしながら同居するより一人暮らしがいい、という選択をする方もいらっしゃいました。そんなお話を聞く度に、どうにかして、ここで生まれた新しい家族のような関係性を維持できないものか、同じ自治体にそっくり移動できる方法はないものかしらと思いました。
 みなさんご高齢ですから、また会おうねと言って行き来できる体力はありませんし、スカイプなどを手軽に活用できる世代でもありません。
 せっかくのコミュニティがなくなってしまう。なんとも言えない切なさを感じます。

「私が仮設にいるうちは来てね」と言ってくださる方がいらっしゃるので、それまでは継続したいと思ってきまして、3月に私も卒業させていただくことになりました。
おからだを大切にと握手を交わしてお別れしたのですが、振り返ると涙があふれてきそうで、前をむいて車を走らせ山形に戻ってきました。
復興住宅に行かれ、一人暮らしをされる方もいらっしゃいます。どうぞ、また新しい出会いの中で幸せに暮らせますようにと、日々お祈りしています。

〈取材:2015年1月〉


 取材を終えて
浅倉かおり
 最後のお一人の行き先が決まるまで通い、丁寧なケアを続けてこられた真田さん。こちらから何かを質問することはしなかったそうで、あくまでも相手の方がお話される内容に耳をかたむけてうなずいてこられたそうです。人と人の深いつながりが生まれていく過程に関わってこられたお話をうかがい、高齢化社会のコミュニティのあり方についても学ぶことができました。
浅倉 かおり
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