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ワタノハスマイルプロジェクト

宮城県石巻市渡波(ワタノハ)地区で支援活動を続け、子ども達ががれきで作ったオブジェで展覧会行っているワタノハスマイルプロジェクト。全国各地のほか2012年にはイタリア展も開催され、子ども達も一緒に海を渡りました。代表を務める犬飼ともさんにお話をうかがいました。
やまがた震災支援活動アーカイブ Archive number 004
ワタノハスマイルプロジェクト
わたのはすまいるぷろじぇくと


犬飼ともさん プロフィール
代表/犬飼とも(いぬがいとも http://inutomo.boy.jp/ )さん
1979年3月5日、山形県寒河江市に生まれる。2005年からイラストレーターとして活動を開始。2008年から廃材を使ったオブジェの制作を始める。子ども達と廃材を使ってオブジェを作るワークショップを多数開催。2011年、東日本大震災、ワタノハスマイルプロジェクトを立ち上げる。宮城県石巻市立渡波(ワタノハ)地区の子ども達とオブジェの制作を始める。運営事務の多田諭史さん(http://www.collabo.me/ )と共に、「ワタノハスマイル展」を全国で開催中。ワタノハスマイルのホームページhttp://www.watanohasmile.jp/ 連絡先/info@watanohasmile.jp



支援活動の経過
2011年
4月2日 渡波小学校での支援活動開始
4月18日~ 町のカケラワークショップ開催
4月28日 ワタノハスマイル展スタート(山形まなび館)
2012年
1月11日 READY FORの開始
2月12日 渡波小学校でのワタノハスマイル展 同日にREADY FOR達成
3月21日 イタリア渡航
11月25日 町のカケラ新作ワークショップ
2013年
1月10日日 オブジェ石巻常設展示開始
1月16日 ワタノハスマイル新作展スタート(山形まなび館)
子どもたちのケアとして

〈犬飼〉  震災の後、多くの人が自分に何ができるのだろうと考えたと思うんです。ぼくはニュースを見てすぐに、「ワークショップをやらなければ。これしかできることはない。いままでの活動は練習で、いよいよ人生の本番が始まる!」と瞬間的に思いました。
 それから1週間位のうちに、創作したものをオブジェにして、国内外で展示していくイメージまでばーっと湧いてきて。では、どうやって現地に行くか。接点を探していろんな方に相談しました。NPO法人IVYさんなど支援活動を行なっている団体に、子どもたちのケアをする係として友人たちと一緒に石巻市にある渡波小学校に同行させてもらうことになったんです。

 4月2日に現地入りが実現しましたが、当初はあまりの惨状にショックを受けました。ニュースで見ていた場面はほんの一部分に過ぎません。自分はこれまで海辺で流木を選び集めて作品を作ってきましたが、目の前にある物は死を連想するものだし、ワークショップなんてとてもできないと、すっかり落ち込んでしまいました。
 ですが子どもたちに目をむけると、校庭に山積みになったがれきの中から使えそうなものを引っ張りだして、元気に遊んでいるんです。普通の状態だったら大人も「危ないから、がれきに近寄るな」などと止めるのでしょうけど、かまっていられる状態じゃない。もともとあったものが無くなったことで想像力が高まって、別の遊びを考え出している。なんか昭和の子どもたちみたいで、ああ、その場に慣れれば、ちゃんと対応できるんだ。子どもってたくましい。自分も一気に救われて、できる、この子たちが、きっといろんなことを救ってくれる。よし、やろうって再び最初の興奮を取り戻すことができたんです。

 今になって思えば、自分たちは"はしゃぐことが役割だ"って分かってやっていた子もいたかもしれません。でもこの元気が、ぼくに勇気を与えてくれました。 

震災直後の渡波小学校
震災直後の渡波小学校
元気な子ども達、みんなの希望です
元気な子ども達、みんなの希望です
たくましく遊ぶ子ども達
たくましく遊ぶ子ども達
 

 当初、渡波小学校には子ども達の遊ぶスペースは作られていませんでした。ぼくたちが最初に行った事は子ども達と一緒に理科室だった教室をかたづけて子ども達の遊び部屋、プレイルームを作りました。プレイルームでは子ども達とさまざまな事で遊び、数週間も過ごすと子ども達、保護者の方達との信頼関係も築けてきました。そこで、オブジェをつくるワークショップについて意見を聞いてみたところ、子ども達はすぐにやりたいと言ってくれて、保護者の方も賛同してくれました。

 そして、4月18日と19日の2日間、ワークショップを開催したんです。20人位の子どもたちが集まってきて、ぼくが小学校の校庭から空き缶や木箱や台所用品のザル、壊れたおもちゃなどを集め、その中から好きな物を選んで、好きなように作る。いつもですと集中できる時間って2~3時間位なんですが、特に美術が好きな子10人位は、1日中とまりませんでした。
●現地入りした時の様子はこちら http://ameblo.jp/watanohasmile/entry-10855675077.html


ワタノハスマイルの誕生
完成したオブジェ
完成したオブジェ
 「プレイルーム」では子ども達とさまざまな遊びをしました。
その活動の一環として、校庭に流れ着いた町のカケラ達(がれき)を使ってオブジェを作りました。「町のカケラ達」を子ども達が自由にくっつけて、自由にオブジェを作りました。

 悲しみの固まりが、子ども達の力によって優しいオブジェに生まれ変わりました。渡波小学校内に展示したとき、オブジェは大人の方に微笑ましい笑顔を生み出していました。

 今回の震災で出た町のガレキの撤去には多額の支出が見込まれていますが、子ども達の作ったオブジェはガレキではなく「大切なもの」に生まれ変わりました。子ども達の作ったオブジェは日本中に希望と笑顔を与えてくれる事でしょう。(ホームページ「ワタノハスマイル」のコメントより)

 2日間で生まれた作品を避難所に展示して、この日以降はワークショップをすることなく、ひたすら子ども達と遊んで過ごしました。
 そして、子ども達が思いのままに作った立体オブジェ85点をもって、2011年4月28日、山形を皮切りに「ワタノハスマイルー子ども達が作った復興のオブジェ展-」をスタートさせました。 http://ameblo.jp/watanohasmile/entry-10875008210.html
 その後、関西、静岡、東京、仙台、北海道など各地からオファーをいただき、2012年12月までで、19回の展覧会を開催しています。

完成したオブジェ
完成したオブジェ
完成したオブジェ
 


子ども達の変化

 石巻地区では、近くにある専修大学の敷地がキャンプ地になっていて、全国から集まって来たボランティアの人たちがテントを張り、そこから避難所へ通っていました。自分も展示の活動をしながら、4月から2~3ヶ月間、スキーやアウトドアをやっている仲間と共にここに拠点をおいて暮らすことにしたんです。

ワタノハスマイル!
ワタノハスマイル!
 ボランティアの中には大学のゼミの一貫として来る人たちなどもいましたし、短期から長期までさまざまなスタイルがあります。自分は避難所渡波小学校での子どもたちの担当として、各地から参加される支援団体の調整役を受け持つようになりました。

 避難所には全国から毎日のようにさまざまな支援物質が届きます。子ども達のために、ボランティアの人たちもお菓子やおもちゃをたくさん持ってやってきてくれます。みんなやさしく接してくれ、プレイルームはおもちゃが溢れ、毎週末がおまつりです。ゴールデンウィークから夏休みの期間が特にピークでした。こうした状況の中で子ども達に変化があらわれてきたんです。
 感謝の気持ちが薄れ、物をポイポイ捨てるようになり、遊んだ後のかたづけもしなくなり、注意しても言うことをきかない。学校としての機能がなくなっているから叱る先生もいないし、親たちも子ども達と充分な時間をとれない状態なので、愛情にも飢えている。子ども達の心が荒れていき、製作する想像力もなくなっていきました。一人ひとりはすばらしい子だけど、群れると悪い方にいくんです。

オブジェを作っている所
オブジェを作っている所
 この環境を改善していくためにどうしたらいいのか。まだまだ多くの支援が必要だから、もう来ないでくださいとは言えない。基本的には善意からきているのだろうから、否定はできない。だけど自分が用意したおもちゃを子どもに持たせて写真に撮り、すぐに帰って自分のブログなどに「喜んでいました」とアップしていたり、感謝してよと言わんばかりの態度の人もいたり。子ども達も、おもちゃを持って記念写真を撮った後はすぐに飽きて、新しい物に目がいってしまう。現状は決して良好とはいえないのに、展示会をしながら「子ども達は元気です」などと答えている自分。ぼく自身も子ども達にエゴをおしつけてきたのではないかという気持ちも湧いてきて、何かもう頭の中も心の中も整理がつかなくなっていきました。

 ぼく以外にも、さまざまな現実の中で憤りや自己葛藤に苦しんで、キャンプ地を去っていく人達がいました。それで、夏あたりからは山形と石巻を行き来しながら、考える時間を作るために少し距離をおくようにしました。この時期が精神的に一番きつかったかなと思います。ところが、そんなときにイタリア行きの話しが来たんです。


READYFOR?の活用
完成したオブジェ
 最初は、行きたくない、やめようと思いました。でもぼくが展覧会をして多くの人達に出会えたことも子ども達のおかげだし、みんなに聞いたら、「行きたい!」って喜んでくれて。それだったら子ども達に恩返しをしようと、もやもやした気持ちがふっきれました。

 渡航費用は双方で負担。そこで、「READYFOR?」というクラウドファンディング(https://readyfor.jp/projects/watanohaSmile )を活用して、支援金を募ることにしたんです。おかげで目標金額の3,000,000円を超える4,229,000円が集まり、子ども達と父母、スタッフ含め23人で無事にイタリアへ出発することができました。ここでもまた、支援について考える出来事に遭遇することになるのですが、今はそれも含めていい学びだったと振り返ることができるようになりました。

* 帰国後、支援とは何かについて、犬飼さんが綴ったページ
http://ameblo.jp/watanohasmile/theme-10065304160.html


支援する側の責任
小学校の校庭で、本当に沢山遊びました
小学校の校庭で、本当に沢山遊びました
 ぼくが震災前から行っていた、この廃材でオブジェを作るワークショップは、落ちているゴミ+想像力の世界です。石ころにも葉っぱにも意識を向けるから、最近のゲームより断然右脳が働きます。昔の工作に戻る感じでしょうか。例えば、アイヌ語に「カムイ」という言葉があります。神を意味するものだそうで、さまざまな名詞の語尾にカムイをつけ、神的なものとして畏敬の念を表現しているんです。アイヌって便利さと豊かさが平衡しているというか、人類として完成された民族なんじゃないですかね。いまの時代ってものがありすぎる。目の前にあるものをいかに大切にできるかどうか。暮らしの道具など身近にあるものすべてを尊重して扱いたい。
 ぼくは昭和の方が豊かだったと思うんです。デザインもアナログな温かみがあるし、映画の特撮なんかも夢が感じられて、響くものがある。ぼくにとっての豊かさとは、工夫すること、不便さに感謝すること。助け合うこと。手間がかかったものの方が、想いが加わって豊かになる。そんな風にとらえています。

「物があふれる=想像力がなくなる」子ども達を見ていると、この定義がとても顕著に表れました。これってたぶん、人類規模のことなんじゃないでしょうか。地球の進歩の過渡期として、有り余る物質社会から、どういう方向性にシフトしていけばいいのか。それを知らしめる状況を見た気がします。だから、支援活動は単に物質や人手を提供することじゃなく、人の心に関わる責任がある。行く側の心構えがなければいけないです。

 特に長期でボランティアを続けていくと、何が正しいのか分からなくなって、悩みのループに入ってしまう。答えがでるまでは帰れないと苦悩して、ついにはパンクしてしまう。そうなる前に、支援する人同士、自分の悩みを話せる環境をつくることも大切です。

 皮肉な話ですが、おもちゃ等の支援物資や、ボランティアの方々が減った今、子ども達の想像力がまたメキメキと上がっているのを感じます。ある子どもの「前作ったとき楽しかったから、またオブジェを作りたい」この言葉から新たなオブジェ作りが始まりました。現在、初代オブジェと合わせて、計200点のオブジェがあります。約100点は石巻の各地に常設展示させ、残りの約100点はまた各地を巡回展示させる予定でいます。

 渡波の子ども達と過ごしていると本当に楽しいです。震災以降、彼らとは本当に多くの時間を共に過ごし、多くの事を経験しました。今では仲の良い友達です。彼らの10年先、20年先の未来を見て行きたいですね。

 
〈取材:2013年1月〉


 取材を終えて
浅倉かおり
 取材中、昭和7年生まれの私の父が、「戦中に防空壕に入っているとき、ちょっとわくわくした」という話をしたことを思いだしました。子どもの方がはるかにタフだと思えるのは、子どもは他人と比較することなく、いま幸せか不幸せかどうか、瞬間瞬間の自分の気持ちで生きているからなのかもしれません。 現地のキャンプ地で暮らしながら活動し、親戚のお兄ちゃんのような立場で子ども達とかかわってきた犬飼さん。アーティストであるがゆえに敏感にいろいろなことをキャッチして、世間の注目を浴びるほどに、誰にも言えない葛藤を抱えた時期もあったのではないかと思います。
「ぼくだってエゴなんです。流木アートをやってきたから、また新しいかたちの表現ができる、現場に行くまではそんな思いもありましたし、自分の活動が子ども達にとって正しいのかどうか、突き詰めていくとよく分からなくなっていきます」。
 犬飼さんがご自身の苦悩も含めてお話してくださったことで、支援者の姿勢として何が大切なのかを知ることができたように思います。展覧会を観て感じたのは、子ども達の圧倒的でシンプルなパワーでした。あれほどショッキングな出来事を体験した直後にも関わらず、生み出されたオブジェたちは笑っていたり、ふざけていたり、あっけらかんとしていたり。恐怖や悲しみが見当たらず、あの時期のあの空間のたった2日間で、子ども達が持つ本質の感性を引き出せたのは、やはり犬飼さんでなければ出来なかっただとうと思います。
 方法論やシステムづくりなど、日本の災害支援のスタイルをどう確立させていくかは大きな課題ですが、そこに伴うのは人の心や感情、思考など。私たちが支援活動を行なうとき、人としてどう取り組むか、自分の心の中を見つめる時間を持つことも大切なのだと感じました。
浅倉 かおり
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