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認定NPO法人 IVY(アイビー)

海外支援での多くの実績やネットワークを活かし、東日本大震災では被災された方の自立復興に向けた支援活動をしている認定NPO法人IVY。今回は理事の安達三千代さんにお話をうかがいました。(取材:浅倉かおり)
やまがた震災支援活動アーカイブ Archive number 003
認定NPO法人 IVY
にんていえぬぴーおーほうじん あいびい


理事の安達三千代さん プロフィール
認定NPO法人 IVY(アイビー)は1991年12月に設立されました。
カンボジア、フィリピン、東ティモールでの活動経験を持ち、カンボジアでは農村部の貧困削減に取り組む。また国際結婚で来日した女性や中国からの帰国者へのサポート、こどもたちへの国際理解教育ワークショップ、「地球子どもキャンプ」等も行い、2002年度からは外務省NGO相談員として東北6県を担当。次世代NGOの育成や東北6県のNGOのネットワーキング等、青年組織のIVYyouth(アイビーユース)も設立。

認定NPO法人 IVYホームページ  http://www.ivyivy.org/



支援活動の経過
2011年
3月14日 『東北広域震災NGOセンター』を事務所内に開設
3月15日 宮城県名取市にある増田中小学校で炊き出し
3月17日 東松島市で物質支援
4月上旬 石巻市蛇田へ移動し女川町、雄勝町、南三陸町、気仙沼市等にて物質支援
4月12日 キャッシュ・フォー・ワーク第1フェーズ開始
5月1日 宮城県北部(女川町北部、南三陸部、南三陸町歌津地区、石巻市雄勝地区)にて物質支援開始
6月1日 キャッシュ・フォー・ワーク第2フェーズ開始
9月1日 キャッシュ・フォー・ワーク第3フェーズ開始
2012年
12月12日 コミュニティビジネス型NPOの育成開始
1月1日 キャッシュ・フォー・ワーク第4フェーズ開始
3月 被災地の保育園再建を支援
9月19日 IVY保育園オープン
東北広域震災NGOセンターを開設

〈安達〉 3月11日は親戚に不幸がありまして、通夜の準備をしていました。駅近くの百貨店の地下にいたときに揺れがおこり、急いで上の階に上がり外にでました。近くのパーキングから車を出し、信号もすべて止まっていましたからかなりの大渋滞で、道路は大蛇のうねりのように裂け、ラジオをつけながら約1時間半かけて自宅へ戻りました。
 そのときのラジオの情報では、津波の高さは10cm程度と放送していたんですが、地震の場合、最初は最小限の情報(数値)しか入らないんです。阪神淡路大震災のときにそれを体験していたので、もっと大きな津波が来る、もっと被害が広がるだろうという予測はしていました。
 まだスマホもいまほど普及していませんから停電中は詳しい情報を得るすべもなく、13日までは再び葬儀の手伝いに行ったりしていました。

 しかし、私の携帯やIVYの事務局には各団体から電話やメールで「支援活動は?」という連絡が入り、3月14日に10団体ほどの代表者が協議しました。『東北広域震災NGOセンター』を事務所内に開設し、緊急支援活動の開始を外部に表明しました。ガソリンがなくて事務所に来られない理事にはメールや電話で内諾を得て、外部にはメール機能のMLリストを使って伝達し、次々とそのメールが転送され、海外の団体へも拡散されていったようです。
 全国はもとより世界中から寄付金が集まり、緊急車両やディーゼル車、小国町のある企業からは軽油も出してもらい、まずは米、ガスコンロ、調味料など炊き出しができるものを一式積み込みんで、20名ほどで出発。
 現場は混乱していますし、当初の行政は外からの支援に対して断る姿勢をとっているところが多かったのですが、名取市は山形県上山市と姉妹都市だったので許可が出たんです。

 最初に行ったのは増田中小学校。閖上(ゆりあげ)から避難してきた方達が多く集まっていました。自転車置き場と教室に調理場を設置し、まずは塩むすびを400個ほど作りました。
 その後ツイッターで柴田町の病院が水や毛布の支援を求めている情報を知り、ともかく行ってみようということですぐに向いました。その病院には認知症や精神病の患者さん約100名がいたのですが、ガソリン不足で職員さんが通勤できず、ふだんの半分しかおらず、役場にしてもガソリンがないから動けない状態で。おむつ、おかずなど欲しい物を聞いて、大学生のボランティアメンバーが自転車で回って買い集めて本部に届け、翌日にそれらを届けました。

ストックヤードとしてお借りしていた東松島市矢本東中学校の体育館に、ユニクロの社員さんたちがトラックで衣類を届けてくれた
ストックヤードとしてお借りしていた東松島市矢本東中学校の体育館に、ユニクロの社員さんたちがトラックで衣類を届けてくれた

 私たちは地元の人が自活できる体制作りを支援することを大事にしていたので、炊き出しの体制整備や物資が入ってくる目処がついた3月17日時点で、さらに支援が足りていない北へ向うことにしたんです。
 目指したのは東松島市で、高速道路も開通しはじめていたので県外からの応援も多く集まるようになっていましたが、東松島市は2005年に桃生郡矢本町と鳴瀬町の合併によって発足した市で、知名度が低い場所は物質がいかないんです。そこで、3月下旬に東松島市矢本東小学校の体育館をお借りして、名取市の増田中学校からさらに北にストックヤードを移動し、続いて4月には石巻市蛇田へ移動。女川町、雄勝町、南三陸町、気仙沼市等が支援対象地に入ってきます。この頃にはみなさんの着替えたいという「清潔」への欲求が高まってくるのですが、1万人以上をカバーするようになってきていたので、下着といっても500枚、100枚と半端な数ではなくなります。
 その頃IVYの事務所は、ボランティアで集まってくれた方々が全国からかかってくる電話に対応するコールセンターと化していたので、その方々が下着の大手メーカーなどに依頼の電話をかけまくってくれ、『カタログハウス』や『ユニクロ』が協力してくれることになり、ユニクロは社員さんが配送も一緒に行なってくれました。

 そのほか、避難所の物質配達の方法としては、大学生が避難所にいる方々から直接欲しいもの、必要なものを聞き取りしながら、目の前で大きな文字で紙に書き取っていく方法で多様な要望を拾い、それを本部に伝えて、その日のうちに調達。翌日にはトラックに積み込んでお届けする形をとりました。そうして、初めて会った人たちとも翌日必ず届けることで顔を覚えてもらい、安心感と信頼関係を築いていったんです。
 震災が起きてからの約2週間は物質の支援が主でしたが、やがて被災された方々に心境の変化が現れてきました。避難所の喫煙場所などで働き盛りの男の人たちがたまってぼんやりと物思いに沈んでいる姿を見た時に、次はこの人たちに仕事という支援が必要だと感じるようになったんです。
●詳細ページ
http://ivyivy.org/cat119/cat124/post-55.html


『キャッシュ・フォー・ワーク』の開始
壊滅的な津波被害を受けた気仙沼市鹿折地区。居間に突っ込んだ別のお宅の屋根をどかすチーム気仙沼のみんな
壊滅的な津波被害を受けた気仙沼市鹿折地区。居間に突っ込んだ別のお宅の屋根をどかすチーム気仙沼のみんな

 働き盛りの男性は、自分の子どもには昼間からブラブラしているような姿は見せたくない。また、気力や体力が戻ってきても、仕事を失って、先々の不安は募るばかりです。そこで、『キャッシュ・フォー・ワーク』という手法を支援に取り入れることにしたんです。
 これは被災されている人を復興事業に雇用し賃金を支払うシステムで、被災地の経済復興と自立支援につなげる国際協力の手法です。外部のボランティアが助けていくのではなく、地域の中で「人とお金が回る」仕組みをつくれば、復興の速度も早まります。被災地には多くのボランティアが集まってきますが、なにもかもを外部の力やってしまっても、一時的にきれいになるだけで被災地に自立にはつながりません。

 とはいえ、私たちの自己資金も5?600万円しかなかったので、時給750円で1日4時間労働、20人と設定し、「こちらの資金がなくなるまでやろうか」という感じで、まずは石巻市でキーパーソンが見つかり、4月12日からスタートしました。
 その後口コミでが気仙沼市にもこの話が伝わり、キーパーソンを買って出てくれる人材がいて、2つの市でがれきの撤去や床下の泥かきなどが始まりました。気仙沼市では地震の発生した時間がちょうど出航前と重なり船が燃料を満タンにしていたこともあって、その重油が流れたため、沿岸地域にどのご家庭の庭や床下中も油の混じったヘドロが堆積している状態でした。

同じく気仙沼市鹿折地区。泥上げをした後の床や壁をホース水で洗い流しているところ。このあと、乾かして、石灰や消毒液をまいて、滅菌して、床板を戻す
同じく気仙沼市鹿折地区。泥上げをした後の床や壁をホース水で洗い流しているところ。このあと、乾かして、石灰や消毒液をまいて、滅菌して、床板を戻す

 そこで床板をはがし、中の石ころ一つひとつも泥を拭き取って、中をきれいに水で洗って、その後消毒剤や石灰を散布し、乾かして、家主さんに引き渡す作業を行ないました。作業員の話では、庭に積み上がった柱や屋根等のがれきをどかす作業の最中は、下からどなたかのご遺体が見つかっても不思議ではないような現場だったとの話でした。
 5月には朝日新聞、6月には『ガイヤの夜明け』という人気テレビ番組で取り上げられたこともあって寄付が集まり始め、資金のめどが立ち始めたので、翌年の3月31日まで運営することを決めました。石巻、気仙沼市に事務所を設け、それぞれ「チーム石巻」と「チーム気仙沼」と命名。責任者もワーカーの中から選出しました。常時60人~65人位が所属し、トータルで112人を雇用したことになります。

 


支援する側の心の調整

 先ほどもお話したように、私たちの活動のポイントは「自立支援」です。
 若いボランティアスタッフたちは奉仕することに情熱を持っているだけに、自分達が何でもやってしまいがちになってしまいます。しかし、やってあげてしまうことで逆に相手の力を奪っていることもあります。
 スタッフの意欲と感情をどう調整するか。団体を取り仕切る立場では、この難しさに直面することもありました。


保育園の助成と運営
気仙沼市のつぼみ保育園。ニーズの高い、けれど待機児童の多い2歳未満児専用の保育園。被災して廃園になり失業した保育士さんたちがボランティアで立ち上げた
気仙沼市のつぼみ保育園。ニーズの高い、けれど待機児童の多い2歳未満児専用の保育園。被災して廃園になり失業した保育士さんたちがボランティアで立ち上げた

 2年目の支援活動も「被災地に仕事を!」ということで雇用がデーマであることに変わりはないのですが、主に保育園にフォーカスしています。
 1年目のプロジェクト、『キャッシュ・フォー・ワーク』では、登録していたのは75%を男性が占める結果となったため、2年目はジェンダーバランスを取るために、育児などの理由からフルタイムで働くことができない女性たちの自立支援に焦点をおきました。被災地にあった保育施設の2割がなくなったため幼児を預けて働くことがいっそう難しくなったり、職を失った保育士さんも多く、その一方で残った施設は定員オーバーのマンモス状態に陥りました。
 そこで、こうした問題点を緩和するために、気仙沼市で保育士さんのグループが新しく立ち上げた2つの保育園に、経営の指導や人件費の助成を行なうことにしました。

 また、三陸沿岸部だけでなく、IVYの地元山形市には1400世帯が避難しており、自主避難の方も多くいることも徐々にわかってきました。
 『認可保育所』は国や自治体からの補助があるため、親の収入に応じて安い保育料で預けられますが、山形市は共働きが多いためもともと待機児童数が多い自治体です(4月の時点で99人いました)。

福島から避難してきた子どもたち専用のあいびぃ保育園。9月に山形市小白川町にオープンしました。格安の保育料で、働くお母さんを中心に喜ばれている
福島から避難してきた子どもたち専用のあいびぃ保育園。9月に山形市小白川町にオープンしました。格安の保育料で、働くお母さんを中心に喜ばれている

 また、申請時点で仕事についていない福島のお母さんたちは利用できません。一方「認可外」と言われる保育所の場合は、保育料が給食費と合わせて月約5万円とかなり高額。二重生活で出費がかさんでいる上、複数の幼児を抱える世帯は払えまえせん。その結果、子育ての負担がお母さんたちに集中し、育児疲れや生活費の心配からストレス過多に陥ってしまっています。

 こうした状況をふまえて、福島から避難している子ども達を預かる保育園を開設することにしたんです。対象年齢は6ヶ月以上就学前まで。建築基準等、法律の条件をクリアして施設を整備するまでかなり大変でしたが、適切な場所も確保でき、アメリカの医療支援団体「インターナショナル・メディカル・コープスや「ユニクロ」からの助成金や全国からの寄付によって、2015年3月31日まで運営を行っていきます。
 保育士として働いているのも、避難しているお母さんたち。このほか、被災地において、地域の問題解決や雇用の促進等を担えるNPO団体の育成など、『ローカルパワープロジェックト』の活動を実施していきます。
●詳細ページ
http://ivyhoikuen.jimdo.com/
http://ivyivy.org/cat119/ngo-1.html


活動を通しての問題や課題

 まずは行政と民間の連携をどうとっていくか。支援活動の経験があるNPOであっても、避難所で門前払いされるケースがあり、避難所の多くが外部から来た人、行政の人、被災者でない人を責任者に立てていたので、行政からの物質支援も実際に被災した方の要望とは食い違いが出ていることがありました。

 また行政からの物資支援は、在庫のある物資に限られたり、時間がかかったり、女性の要望を拾い上げていなかったり、細かい配慮に欠けていることも少なくなったです。

 燃料不足で、モノはあっても行政の倉庫から避難所へ配達できないというケースも多く見かけ、NPOは住民に寄り添って細かい支援を行っていくことに慣れているので、車両やストックヤードを行政と民間が共有するなどして、物資の配布等はNPOに任せても良いのではないかと思います。レンタカーもすべて行政が抑えてしまうので、個人や民間団体の活動に使えなくなることも問題点です。

 支援物資は時間の経過に伴い、必要な物が刻々と変わりますが、みなが同じものを届けるため、たとえば毛布などは時間がずれてしまうと無駄になるものも多いんです。支援物資も行政に寄付したという企業が多かったのですが、NPO用にも半分残しておいてほしいと思いましたね。

 また、義援金をもっと早く配れるようにすること。被災地では銀行機能がストップしたりしているので、自立のためにも現金は必要です。1万円札はおつりがなく使えないので、できるだけ1000円札や硬貨を現金で配ることが望ましいです。世界各地の災害にもっと敏感になることも大切だと思います。

 
■「認定NPO法人IVY」の問合せ先
 IVYホームページ http://www.ivyivy.org/
〈取材:2012年12月〉


 取材を終えて
浅倉かおり
 海外支援においても長年の実績があるため、その体験を通した判断やフットワークの力を感じました。「私たちは切り替えが早いんです」という言葉が印象的で、支援とは情にほだされた活動ではないということが伝わってきます。
よりよいかたちは、多くの人手がいる最初の段階は外部からの支援をうまく配置し、基盤が整ってきたら早く自立できるための支援にシフトしていくことなのだと思います。
浅倉 かおり
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