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酒田市・中通り商店街振興組合

全国各地の商店街で組織する防災ネットワーク「ぼうさい朝市」によるつながりから、宮城県南三陸町の支援をつづける酒田市の中通り商店街振興組合。震災直後の救援物資の輸送から、南三陸町の復興のシンボルとなっている「福興市」まで、理事の佐藤英夫さん・幸美さん夫妻は、その中心メンバーとして支援活動に取り組んでいます。(取材:たなかゆうこ)
やまがた震災支援活動アーカイブ Archive number 001
酒田市・中通り商店街振興組合
さかたし・なかどおりしょうてんがいしんこうくみあい


佐藤英夫さん・幸美さん夫妻 プロフィール
佐藤英夫さん
1956年生まれ、有限会社「仏壇のさとう」代表取締役。2008年10月、中通り商店街振興組合の理事長を務めていた当時、先進的な防災活動に取り組む東京・早稲田商店会の藤村望洋(ぼうよう)氏が企画した「ぼうさい朝市ネットワーク」に同商店街も参加。現在、副理事長。
佐藤幸美さん
1960年生まれ、同社取締役。同組合事業委員会委員、酒田法人会女性部会副部会長、山形県政策審議会委員、山形県産業構造審議会委員。 酒田市中心部にある中通り商店街にて、夫婦と息子の3人で「仏壇のさとう」を営む。「日本一明るい仏壇屋」をめざし、2008年から店のブログ『もっけだの「かじオヤジ」のつぶやき』『もっけだの「仏壇屋のおばちゃん」ブログ』を継続。震災後にはブログで救援物資の提供などを呼びかけ、支援情報を発信した。 酒田法人会・酒田市倫理法人会・酒田ライオンズクラブなどに所属し、地域や商店街の活性化に積極的に取り組んでいる。
◎酒田市・中通り商店街振興組合 http://mokkedano.jp/


支援活動の経過
2008年
10月 中通り商店街が「ぼうさい朝市」ネットワークに参加
2011年
3月14日 救援物資集めを開始
3月18日 中通り商店街からの救援物資の輸送を開始
3月20日 全国各地の「ぼうさい朝市」ネットワーク・中通り商店街からの救援物資を運搬(以後1ケ月半にわたり、数日おきに物資運搬)
3月27日 志津川中学校・志津川小学校で炊き出し
4月3日 志津川中学校・志津川小学校で炊き出し
4月7日 志津川小学校でノロウィルス発生の緊急連絡が入る
4月8日 消毒薬の次亜塩素酸ナトリウムなどを緊急運搬
4月28日 南三陸「福興市」の荷物運搬
4月29・30日 第1回南三陸「福興市」に中通り商店街が参加(以後、毎月最終日曜日開催される「福興市」に継続して参加)
6月11日・12日 「登米・南三陸観光物産復興祭」に中通り商店街が参加
ぼうさい朝市ネットワーク

〈幸美〉  震災後、南三陸町の支援を始めたきっかけは、「ぼうさい朝市ネットワーク」です。4年前、中通り商店街に、東京の早稲田商店会の藤村望洋さんから「ぼうさい朝市ネットワーク」に入りませんか…とお話があったんです。藤村さんは、昔の北前船ルートの各地を結んで、いざという時に地域を超えて助け合える防災ネットワークづくりに取り組んでいるということでした。酒田も北前船の寄港地だったので、それで声をかけられたんですね。
 「防災」と「朝市」がどう結びつくのか、よくわからなかったんですけど、この商店街は1976年(昭和51年)の酒田大火で全部焼けたこともあって、防災ネットワークに加わることになりました。この時、全国の18地域の商店街やNPO法人などが藤村さんの呼びかけに応えて、南三陸町の志津川おさかな通り商店街も参加したんです。ですから、震災前から交流をつづけていました。

〈英夫〉  藤村さんは以前、兵庫県宝塚市に住んでいて阪神淡路大震災を体験したそうです。その経験から、2004年に新潟で中越地震が起きた時、被災地の十日町市に直接、物資を送っても混乱するので、被害のなかった隣の長野県飯山市に物資を送って、そこから持ち込んだんですね。また、バスに被災地の人を乗せてきて、飯山でお風呂に入ったり洗濯できるようにした。このやり方がうまく機能したので、災害時に「隣」から支援するネットワークが必要と考えて、それが「ぼうさい朝市ネットワーク」になったということでした。
 じつは、中通り商店街がこのネットワークに参加したのは、酒田大火が教訓になっているんですよ。あの時、全国から送られてきた支援物資が体育館に集められて、せっかくの心温まる物資も山と積まれたままで処理しきれずに、不本意ながら物資災害という二次災害を引き起こしました。それで、被災地の近くの町に物資を集めて必要な物を届けるというのは、いい考えだと思ったんです。

〈幸美〉  でも、最初、各地の特産品を集めて物産市をやると聞いて、正直、ピンとこなかったんですよ。「ぼうさい朝市ネットワーク」には、中通り商店街のほかに岡山県笠岡市、鹿児島市宇宿(うすき)商店街、大阪市三津屋商店街、兵庫県佐用町(さようちょう)佐用商店街なども入っているんですが、そこで開かれる産直市場「ぼうさい朝市」に、他のメンバーが出かけて行って出店して、自分たちの地域の特産品やおいしいものを販売するというので…。

〈英夫〉  「防災」だけでは人が集まらないんですね。だから「おいしい防災・楽しい防災」を旗印にして、ネットワークの各地から持ってきた産直の物産市を開いて、地元の人に足を運んでもらって、そこで防災に関連するいろいろなイベントもやる。そして、普段からメンバーの商店街同士が交流して、いざ災害が起きた時にはお互いに協力する…というわけです。

〈幸美〉  中通り商店街では、4年前の「酒田どんしゃんまつり」の時に1回目の「ぼうさい朝市」を開きました。全国各地からメンバーの商店街の人が来てくれて、びっくりしましたね。もちろん、こちらも各地に呼ばれて、私も10回くらい、あちこちの「ぼうさい朝市」に行って、庄内ならではの豚肉で味噌味のいも煮汁を販売してきました。こうして交流を深めているうちに、「ぼうさい朝市」で集まると本当に仲間だな…と実感するようになっていました。そんな時に、あの3.11の震災が起きたんです。


救援物資集め・輸送の拠点に

お店のハイエースを緊急車両登録し、「救援物資輸送車」のプレートをつけ、救援物資を満載して南三陸町へ

〈幸美〉  南三陸町が津波の被害でひどい状態だと知って、中通り商店街でも、すぐ炊き出しに行くか、救援物資を持って行くか…という話になったんです。でも、3月13日に藤村さんが酒田まで来られて、「私たちは、必要な物を必要なだけ届けるために活動してきたんだから、まず現地の状況がわかるまで待ってくれ」と言われました。
 そして次の日、藤村さんから「南三陸町の人たちと連絡がついた。理事長の昆野さんは津波で流されて亡くなったが、山内さんと及川さんが、それぞれ志津川中学校と志津川小学校に避難しているから、いま現地で必要としているものを集めてくれ」と。昆野さんは、おさかな通り商店街でお土産物屋さんをしていた組合の理事長さんで、山内さんは魚屋さん、及川さんは蒲鉾屋さんだったんですね。
 私たちは、すぐ食べ物が必要だろうと思っていたんですが、被災地では当面、避難生活になるのは間違いないだろうから、煮炊きする道具がほしいということでした。それで、ガスボンベやコンロ、鍋などの道具と、米・飲料水・衣類・日用雑貨を集め出したんです。
 藤村さんが全国の防災ネットワークのメンバーに、メールで一斉に情報を流してくれたんですが、震災直後は輸送がストップしていたし、買うにも物がない状況でしたから、必要な物を書き出して提供してほしいと、商店街に回覧板を回したりしたんですよ。
 この時、思いがけず役に立ったのがブログでした。夫婦でそれぞれにブログをやっていたので、そこに「被災地への救援物資を集めている」と書き込んだら、次々に、うちの店に持ってきてくれて…。ブログは、普段は誰が見ているのかわからないじゃないですか。それが、こんなにいろんな人が見てるんだとビックリするほどでしたね。

〈英夫〉  それから、この店が物資集め・仕分け作業の拠点になったんです。持ってきてくれた物の中には、箱に入ったものや、しまいこんでいて臭いのついたタオルなどもありましたから、使えないものは取り除いて、箱に入った物は中の品物を出して、全部仕分けして…。物資が集まって、うちのハイエースを緊急車両登録して、18日に荷物を積んで行くことになりました。ちょうど春彼岸の時で、配達とか忙しい時期だったんですが、何とか段取りをつけてね。

〈幸美〉  前の日になって、「仏壇のさとう」と名前が入ったハイエースで被災地に行くのはどうか…というので、急遽、「救援物資輸送車 酒田市中通り商店街」のプレートを看板屋さんにつくってもらって貼ったんですよ。
 そして18日、商店街の若い男性2人が、朝3時に出発して南三陸町に向かったんです。すごく寒い日で道路は凍っているし、携帯電話もつながらないし、心配していたんですが、3時間半ほどで現地に着いたそうで、午後1時頃に帰ってきました。


被災地の「隣」から支援
津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町
津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町

〈幸美〉  山内さんが避難している志津川中学校には500人、及川さんがいる志津川小学校には700人の避難者がいたということで、この日、山内さんと及川さんから「つぎは何がほしいか」を聞いてきたので、今度はその情報を藤村さんに伝えてネットワークの商店街に流してもらい、私たちのブログにも書いて物資を集めました。そうしているうちに、全国各地の「ぼうさい朝市」の仲間からも物資が届きはじめて、それを志津川中学校分と小学校の分に分けて、20日に酒田米菓の3トン車を借りて届けたんですね。
 被災地では必要な物がどんどん変わっていくので、物資を届けた時に避難所で要望を聞いて、その情報を藤村さんやブログで流して、集まった物資を仕分けして届けて、また必要な物を聞いてくる…その繰り返し。それからは数日おきに、中通り商店街のメンバーが交代で南三陸町に行きました。

〈英夫〉  全国の「ぼうさい朝市」の仲間に情報を流して、この酒田に救援物資を集めて、必要な物を必要な量だけ、酒田から南三陸の避難所にピストン輸送しました。酒田が南三陸町の「隣」となって、「隣から支援」を実行をしたわけですね。鹿児島の宇宿商店街のように遠いところは、物資を送るとかなり運賃がかかるというので、口座を設けて支援金を送ってもらいました。そのお金で、足りない物を買い足して…。それまでの3年間の交流が生きたんですね。

全国各地の「ぼうさい朝市ネットワーク」の仲間から届いた救援物資
全国各地の「ぼうさい朝市ネットワーク」の仲間から届いた救援物資
〈幸美〉  市民も、「中通り商店街に持っていけば被災地に直接、確実に届けてくれるから」と救援物資や義援金を持ってきてくれたんですよ。もう、店の中は物資でいっぱいで、足の踏み場もないほどでした。
 ある時は「家にベビーバスがあるけれど、必要な人はいないだろうか」と電話があって、すぐ避難所にいる山内さんに電話したら、「赤ちゃんのおむつかぶれがひどくて困っているお母さんがいる」というので持って行ったこともあります。
 女性の人たちにと、化粧水と乳液のサンプルがどっさり届いたこともありましたね。避難所では、ある程度まとまった数がないと配れないし、不公平にならないようにしなければならないので、この時は、1人分ずつ、化粧水と乳液とコットンをセットにして、小袋に分けて800セット用意しました。仕分けは結構、大変な作業だったけど、商店街や近所の人、友だち、いろんな人が手伝ってくれて、助かったんです。
 炊き出しにも行きました。3月23日に物資を届けに行った人が、避難所で「あったかい麺類が食べたい」という要望を聞いてきたので、「じゃ、炊き出しに行こうか」と。麺組合さんから、うどんとそば、蒲徳商店さんからは伊達巻、鈴木鶏卵さんからは卵と、地元の人たちに材料を安くわけてもらって、1200食を用意して、さっそく27日に出かけたんです。私は、被災地に行ったのはこの時が初めてで、総勢14人で、志津川中学校と小学校の2班に分かれて炊き出しをしたんですよ。
 最初、山内さんや被災した人に、どんな顔して会ったらいいんだろうと思っていたんですけど、みんな明るくて、「よく来てくれたね」と荷物を降ろすのを手伝ってくれて、うどんもそばも「おいしい、おいしい」って喜んでくれてね。それで、次の週の日曜日、4月3日にまた炊き出しに行ったんです。
 この後も炊き出しをつづけようと考えていたんですが、志津川小学校でノロウィルスが発生したと連絡が入り、そうしているうちに4月7日の夕方4時半頃、現地から「酒田で消毒薬の次亜塩素酸ナトリウムが大量に手に入らないか」とメールがきたんです。
 酒田に東北東ソーという会社があるんですが、そこの車に「次亜塩素酸ナトリウム」と書いてあったのを思い出して、すぐ電話したんですね。でも、そこでは製造はしているけど、販売はしていなくて、市内にある第一物産という会社を紹介されて、そこに買いに行きました。

〈英夫〉  次亜塩素酸12%溶液が20リットル入ったポリタンクを6つ、理由を話して何とか譲ってもらいました。漂白剤のキッチンハイターは次亜塩素酸が1%だそうですから、これは濃縮液で、薄めて大量に使えるんです。
 ほかに割り箸や紙コップなどを買えるだけ買って、うちのハイエースに積んで、次の日、8日の朝3時に私が運転して、中通り商店街の人と一緒に南三陸町に出発しました。7日深夜の大きな余震のため、停電で信号機も点いていない真っ暗な中、道路の反射板だけが頼りでしたね。
 前の日の夕方、必要だと連絡して、次の日の朝6時前に届いたわけですから、南三陸の人には「宅急便よりも早い」と驚かれて、感謝されたんですよ。


南三陸町の「福興市」に参加

〈幸美〉  4月3日の炊き出しには、藤村さんも一緒に避難所の志津川小学校に行きました。その時、藤村さんが、被災した商人の人たちから聞いたのは、「破産するしかない」とか「もう店をたたむ」といった話ばかりだったそうです。 
  それで藤村さんは、「これではダメだ。闇市でもいいから、商売をやらないとダメだ」って。「でも、何もないのに、どうやって商売するんだ?」「全国に『ぼうさい朝市』の仲間がいるじゃないか」となって、南三陸町で物産市をやろうと地元商店街の山内さんや及川さん、商工会が動き出したんですね。
 最初は5月の予定だったんですが、早いに越したことはないと4月末のゴールデンウィーク初日、29日にやると決まりました。復興の願いを込めて「福を興す市」の「福興市」を、山内さんが実行委員長となって開催することになったんです。

第1回目の南三陸「福興市」(2011年4月29日・30日)
第1回目の南三陸「福興市」(2011年4月29日・30日)

〈英夫〉  藤村さんの話では、「災害ユートピア」といって、大きな災害などの直後には、自分が辛くて大変な状況にありながら、身内だけでなく見ず知らずの人にも手を差し伸べる特別なコミュニティが生まれる…ということでした。だから、いま物産市をやるべきだ。もう少し時間がたつと、避難所から他所に移っていく人が多くなり、状況もそれぞれ違ってくる…と。藤村さんがいなかったら、こんなに早く「福興市」を開くなんて、考えなかったでしょうね。普通なら、震災で何もないところで物産市をやっても、誰か買いに来るんだろうかと思いますから。

〈幸美〉  それと、藤村さんは阪神淡路大震災での経験から、「タダではだめだ。お金を出して買う楽しさ、選ぶ楽しさがないと」と言ってました。でも、被災した人からお金をもらうのもどうか…ということで、「福興市」だけで使える地域通貨の「タコ」をつくったんですよ。蛸(たこ)は志津川の名産なので、それにちなんだんですね。被災した南三陸町の人には1人300タコを配って、それで買い物をしてもらうことにしました。1タコが1円で、これは50タコ、こっちは100タコとか値段をつけてね。
 第1回目の「福興市」は4月29日・30日の2日間、避難所の志津川中学校の校庭で、「ぼうさい朝市」ネットワークのメンバー、近くの登米市(とめし)などが参加して開催されたんです。どこから、こんなに…というくらい人が集まりましたよ。この時は、中通り商店街のテントで、おさかな通り商店街で商売していた人にも一緒に販売してもらって、売上の19万円全額を寄付してきました。

〈英夫〉  大勢の人が買いにきてくれて、被災した南三陸の商店街の人も、久しぶりに商売して元気がでたようでしたね。

「福興市」で、酒田の小学生たちが集めた文房具と千羽鶴を南三陸町の佐藤仁町長に手渡す(2011年6月26日)
「福興市」で、酒田の小学生たちが集めた文房具と千羽鶴を南三陸町の佐藤仁町長に手渡す(2011年6月26日)

〈幸美〉  「福興市」は先月(2012年9月)でもう18回。第2回目の5月からは毎月1回、最後の日曜日に「福興市」が開かれるようになって、だんだん地元のお店や「ぼうさい朝市」ネットワーク以外の商店・団体の出店も増えてきたんですよ。今年の2月に志津川地区に仮設商店街の「南三陸さんさん商店街」もオープンして、いまは、ここが「福興市」の会場になることが多いですね。
 中通り商店街は毎回参加で、私はそのうち14回行っています。商店街のメンバーが交代で4、5人で出かけて、販売するのは、いも煮汁や玉こんにゃく、だんご…夏場には庄内砂丘メロンをスムージーにしたら、すごく喜ばれて完売して、うれしかったですね。こういった食べ物を、材料を仕入れて全部自分たちでつくるので、最初の「福興市」の時には売上の全額を寄付してきましたけど、その後は売上の最低10%をおいてくることにしました。全額おいてくると次の仕入れができないので、売上から寄付分と仕入れ分を引いた残りで、また次の仕入れをするようにして…。長つづきする支援の仕組みが大切だと思うんですね。

〈英夫〉  「福興市」には、毎回「ぼうさい朝市」ネットワークのメンバーも参加していますよ。岡山県笠岡市からは、車で一昼夜かけて来てくれますね。

〈幸美〉  こういう仲間のつながりがあるから、去年の10月には、震災から7ケ月でまだ大変な時なのに、「酒田どんしゃんまつり」に南三陸町の山内さんたちも参加してくれたんですね。中通り商店街でマグロの解体の実演をしてくれて、大きなマグロをさばく様子が見事で、すごい人だかり。今年の「どんしゃんまつり」にも来てくれるんですよ。その時に、空き店舗を利用して震災写真展や語り部の体験談を聞いたり、防災セミナーなども同時に行って、この災害を広く酒田市民に伝えたいと思っているんです。つながりが生きているんだなって…ありがたいですね。


酒田と南三陸のパイプ役に
登米市で開催された「登米・南三陸観光物産復興祭」で、「上々颱風(シャンシャンタイフーン)」のボーカル白崎映美さん(酒田市出身)と(2011年6月12日)
登米市で開催された「登米・南三陸観光物産復興祭」で、「上々颱風(シャンシャンタイフーン)」のボーカル白崎映美さん(酒田市出身)と(2011年6月12日)

〈幸美〉  これまでの体験を通して、支援活動がうまく継続できているのは、藤村さんが考えた「ぼうさい朝市」ネットワークの仕組みと、みんなの「思いやる気持ち」があるからだと実感しました。「ぼうさい朝市」の仲間はもちろん、被災地では山内さんや及川さんはじめ、いろんな人たちが、自分も大変なのに他の人や地域のために一生懸命なんですよ。もし、活動に関わっていなかったら、そうした姿を知らないでいただろうし、「もっと私にできることはないか」と一生懸命になる自分自身のことも見えなかったでしょうね。人の喜ぶ顔を見るのが自分の喜びになって、それで「福興市」にずっと行っている気がします。震災前はひとりで山形市までも行けなかったのが、いまでは南三陸町へも自分で車を運転して行くようになったんですよ。
 それと、商店街の役割をあらためて感じました。物を売っているだけではなく、いざという時には人と人をつなぐ、地域に欠かせない存在なんだな…と。

〈英夫〉  被災した現地の人から、反対に勇気をいただくことも多かったですね。 

〈幸美〉  これからも、「福興市」への参加はいままで通りつづけますし、酒田と南三陸をつなげることをやりたいと思っているんですよ。南三陸町の人たちは「町に来て、被災した光景を見てほしい」と言うんですが、周りには「物見遊山で行くようで、なんだか申し訳なくて行けない」という人も多いんです。でも、南三陸の商店街で買い物をするのも復興支援のひとつだと思うんですね。それで、酒田法人会女性部会の副部会長をしているので、今年の6月には、南三陸への研修を企画して、18人で行ってきました。バスの中で語り部の方に震災当時の話をしてもらったり、南三陸さんさん商店街で買い物をしたり、「いままで何もできなくて心苦しかったが、少しでも支援ができて、行ってよかった」と喜ばれたんですよ。これからは、こうした企画をして、酒田と南三陸のパイプ役になりたいですね。そして、実際に行った人から「被災地はこうだった」「こんなおいしいものがあった」と口コミで伝わって、南三陸町に行く人が増えていけばいいな…と思っています。

「酒田どんしゃんまつり」で、南三陸町の佐藤仁町長(代理:山内正文福興市実行委員長)に支援金を贈る(2011年10月15日)
「酒田どんしゃんまつり」で、南三陸町の佐藤仁町長(代理:山内正文福興市実行委員長)に支援金を贈る(2011年10月15日)

〈英夫〉  じつは、そのツアーを真似て、10月に私もライオンズクラブ17人で、同じ買い物支援してきました。支援はひとりの力ではできませんし、この経験を忘れてはならないと思います。「継続は力なり」で、息の長い支援をしていきたいですね。

 
■「中通り商店街」の問合せ先
 仏壇のさとう TEL: 0234-22-3736 E-mail : butu@cameo.plala.or.jp
〈取材:2012年10月15日〉


 取材を終えて
たなかゆうこ
 「日本一明るい仏壇屋」をめざしているという言葉通り、佐藤英夫さんと幸美さんは、とても明るくて気さくなご夫婦でした。
 震災直後から中通り商店街の支援活動がうまく機能し、現在も継続できているのは「ぼうさい朝市ネットワーク」がベースにあることはもちろんですが、どんなにいい仕組みでも、それを生かすのは「人」。佐藤さん夫妻の思いと行動力が、「ぼうさい朝市ネットワーク」の仲間と中通り商店街、そして商店街の方たちをつなぐ強い力になっているのだと思います。
 「仏壇のさとう」は日曜日もお店を開けていますから、「福興市」のある毎月最終日曜日に、ご夫婦のどちらかが南三陸町に行けば、お店は息子さんと2人での営業になります。「大変ではないですか?」と尋ねると、幸美さんからは「たしかに大変な面もあるけれど、うちは家族で商売をやっていて、南三陸町への思いも共通しているから…」と答が返ってきました。こうした家族の絆も、支援を継続していく支えとなっているのでしょう。
 震災から1年8ケ月近くがたち、支援の形も変わってきていますが、中通り商店街と南三陸町とは、支援する側・支援される側を超えて、ともに「福興」をめざす仲間となっているように感じました。
たなか ゆうこ
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