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やまがたの支援者(2) 緑水の森支援活動

主に宮城県沿岸部にて幅広い活動を展開している「緑水の森支援活動」大谷哲範さん。被災地支援、こころのケア、そして、音楽についてお話を聞きました。

インタビュー やまがたの支援者(2)

緑水 ( りょくすい ) の森支援活動  



やまがたの支援者(2) 緑水の森支援活動

プロフィール

大谷哲範 1960 年生まれ。ミュージシャン・音楽プロデューサー・依存症カウンセラー。
キーボード・プレイヤーとして、さまざまミュージシャン(織田哲郎・尾崎豊・稲垣潤一など他多数)のツアー サポート、レコーディングに参加。近年では、ギター プレイヤーとしてもステージに立つ。絶対音感の持ち主で、いろいろな楽器を操るマルチ・プレイヤー。ここ数年は、音楽セラピスト、心理カウンセラー、依存症回復カウンセラーとしても活動を続けている。
2009
年、水と緑の自然豊かな地域で新しい活動を実践するため山形市に移住。音楽活動に加え、山形市内でのカウンセリング・セラピーや中山間市域の活性化を目的として活動を行う「緑水の森再生委員会」を立ち上げる。

3.11の東日本大震災後、県外・県内にて様々な支援活動に携わるようになる。

Q.東京から山形に移住されてきた理由は?

 
2年前までは東京で、音楽活動と平行しながら、依存症の人たちの回復施設の責任者をしていました。そこでは、いろいろな超党派のカウンセラーの人たちが、心のサポートをしていたんです。その頃に、カウンセラーのための保養所を作るという企画があって、山形に1人で来ました。カウンセラーも、心が疲れてウツになることもあります。そういう人たちをちょっと回復するための場を探してくれないかと。それで、高瀬(山形市)に住むことになりました。

 高瀬地区では、僕が単身で引っ越して来て、2日目くらいに、近所の方々が話しかけて来てくれました。「ここはまぁこんな田舎だけれども、昔は交易ルートがあって、知らないかも知れないけれども、平定能(さだよし)って人の末裔なんだよ」って。じつは、僕のルーツが平定能だったので、驚きました(笑)。それからは近所の人たちとはもう良い感じで。東京から来たものだから、言葉とかも結構違うんですよね。共通言語が少なくて、そんな中でどうしようかなと思っていたんですけど、それがあったのですぐ馴染めました。

Q.「緑水の森再生委員会 」さんの活動の始まりは?

 高瀬地区の方々と会話をする中でみなさんが、 「わかった、山が荒れているのか。そしたらもう緑水の森再生委員会ってのをつくろう」と(笑)。だから最初のメンバーは高瀬の近所の人たちだったんです。震災が起こってからは支援活動にも関わっていますが、ただみんなやはり、自分の時間を使って支援活動にっていうそういう余裕はみなさん無いので、今は余裕のある人で、『再生委員会の中の支援活動』という位置づけで活動しています。

Q.今回、災害支援活動に関わることになったきっかけは?


 
きっかけは、私からではなくて向こうから訪れたんです。3月11日というその日に、うちのカウンセリングルームのクライアントさんで、被災地から来た方がいたんです。地震で帰れなくなったと言うので、「うちで引き受けましょう」と。だから、厳密に言えば11日から活動が始まっていたんです。

それで、僕は音楽の仕事を仙台で結構やっていたものですから、そこへの支援をまず自分レベルで考えた訳です。「米を持って行かなければ。水も必要だろう」と。ある程度の小さい体制を整えて、それでまず14日に一回支援に行ったら、これはもう大変だと。それで、そのようなことを発信していくと、遠くの方の音楽仲間とかが義援金送ってきてくれたり、物資送ってきてくれたり、段々大きくなっていきました。自然な流れの中でのことだったんです。まったくの偶然でつながった。会うべくして会って、よろしくねっていう感じ。今もそんな中でやっていますよ。

やまがたの支援者(2) 緑水の森支援活動

Q.被災地では、具体的にどういった活動を展開されていますか?

 
いろいろな活動をしていますが、一番効果的だったのは、牡鹿半島の漁師町。あまりの窮状で、全然進まない訳ですよ。そこを片付ける地元の人たちへの後方支援をしました。例えば発電機や電動工具など、必要なものを山形から大量にバックアップを。

避難所の人たちやお父さんたちが10人くらいトラックに乗って作業をしに行き、帰ってくるのをみんな待ってて。それでその中から降ろすのを手伝ったりであるとか、お父さんたちにお母さんたちがご飯を出し始めるという光景が段々と作られていくんです。

それと、作業している現地の人たちに、緑水の森の予算で重機を一台提供したんですよ。最初は一ヶ月、格安でレンタルしてもらった。だから避難所の人たちは、全くお金を払わないで重機を借りることができたんですよね。ところが、その後、「提供してもらっているばかりじゃ悪いから、今度はちゃんとしたお金を払うから、うちらにもう一ヶ月重機貸してくれ」って言って。今はみんな自分で動いています。それができるんですよ。彼らは港まで、一応自分たちで作って、港の入り口に大漁旗を立てましてね。自分たちのお金で買った重機で、自分たちで作った。復興を自分たちで立ち上がるモデルを後方支援できた。これが大きい喜びです。

小さい成功例だけども、僕の一生忘れない思い出。漁師町はそういうところが、自分のコミュニティがしっかりしているからとっても元気。

ガレキとかは、撤去してくれるまで待つというのが普通のスタンスでしょうけど、やはり、自分たちで立ち上がってもらわないと復興はない。だから我々は、被災者が動けるための、効果的なピンポイントの支援。でも動けない人にもこれから支援をちゃんとして行かないといけない。これを両方やって行くつもりです。

Q.現地での活動で感じたことは?

 
平常時、特に日本の管理社会とかだと、「これは俺の持分でこっから先は知らないよ」とか、人が作った見えない垣根がいっぱいあって、それを意識しながら我々の心というものも色んな鎧をまといながら暮らしていますね。まぁ平常時というのはこれが当たり前だと思います。ところが、こういう事態が起こった時に、それらが一旦、まっさらになってしまう。いわゆる、上から押し付けられた、既成の常識やら、そういった垣根が一旦無くなった中での活動ってのは無限に広いものがあるんですね。人と人とのつながりというのも、その中で、お互いの核心に触れる。それが多いと感じました。お互い魂を掴み合うことができる、そういう形ですね。純粋な人たちとつながることができる。それが一番の得がたい経験ですね。まぁこれからもっと状況は複雑になってきますから、これだけじゃないことももちろんわかっているんですけれども。そういった、最初の純粋な目的をどれだけ、自分と自分の仲間にキープできるのかなというところが、これからの課題でもあります。

やまがたの支援者(2) 緑水の森支援活動

Q.心のケアの活動もしているのですか?

 これからは、一緒にやっているメンバーの力が発揮できると考えています。県内外のカウンセリングですね。その中ではやっぱり、僕たちのような横文字職業よりも、例えば坊さんたちの方がみなさん心開いてくれると思うんですよね。だからお坊さんたちに、彼らにある程度のカウンセリング技術と理論を簡単に学んでもらった上で、辛い人の話を聞き続けるっていうのはこれはもうカウンセラー側にとっても心的プレッシャーが大きいですから、お坊さんたちがちゃんと心の支援に対して、袈裟を着て乗り込んで行ってもらうってのを僕は思い描いているんですね。いわゆる坊さんカウンセリング部隊。このファシリテーターを坊さんにやってもらうための後方支援をしようと。宗派の違いを越えて上手く仲良くね、連携して欲しいんですよ。少しずつ、キリスト教の方とも連絡を取っているんです。宗派の違いであるとか、教義の違いであるとか。こういったところを上手く連携できたらこれはもうとっても大きいことになるんですよ。

肉親を失った悲しみ、仕事を失った悲しみ。それで動けない人たちが、市街地の方はいっぱいいる訳ですよ。もしくは福島から避難してきている人たちも。

僕のやり方は、 カウンセリングルームのような密室の中で話しを聞きます、何か書きますというやり方ではないんです。クライアントさんに対して行動プログラムを提供するっていうカウンセリング法を最も得意としているので。みなさん自身が動いている中でのフォローというやり方を最も得意としています。

Q.物理的な活動と心のケアが一体となっている印象を受けます。

 
そうですね。たぶんこれは、炊き出しをしたにしても、一杯の何かと、それともうひとつ、人との会話があったりであるとか、そこが大切なんですよね。モノを通しても作業を通しても、人とのつながりをちゃんと作ること。現場の大切さってのはそこなんだと思います。

. 12日にはチャリティーライブも予定されていますね。

 
チャリティーライブに関しては、近所の六根浄さんから、「もうこれをやりますから!」って言われて(笑)。僕はあんまり名前を売ることを第一とはしたくないんですよね。無名の存在で良いと思うんです。それがあったので、(どちらかと言えば)誘われたものをお受けするようにしています。それが自然な流れになれば、拒否することはないですし、もちろん乗りますけれどね。

実は僕のルーツはゴスペルにあります。 そういう意味で、音楽の持つ力とメッセージ性は、自分の思想を表現するためのとても大きな武器になるんだ。これは子供の頃からよくわかっています。

音楽の持つ力は、音楽家は僕だけじゃなくてみなさんいっぱいいらっしゃいますから。でも…これからなのかな?これは、今は食べるのに困っている。そこに音楽があってもなかなか届かないんだっていう現実をいっぱい見てきましたからね。ただ、カウンセリングということ自体、物理的な支援、ガレキ撤去であるとか、食料を配布するとか、それよりはカウンセリングは後方支援にいる訳です。そして、カウンセリングのような心のケアの、さらに後方支援として音楽はとても大きい力を持っていると思うんですね。ただこれは、商業主義の音楽ではダメです。ちゃんとこう、真実に触れるような音楽じゃないと。まぁこれは難しいところなんですけれども、一旦虚飾のものが無くなったこの地域に、また虚飾のものを作っちゃならないっていうとてもアナーキーなものが僕の中にはあって。ちゃんとした復興を作っていくために、虚飾の文化を作るようなそんな復興をしちゃいけないと思うんですよね。この災害を糧に、本当にみんながこの、これからの地域に、そして日本に、必要なものに気がついてもらえれば。これが、真実って意味に近い言葉ですけれども、それを願っています。そういうメッセージを発信する手段としての音楽。これは後方支援の後方支援。もっと大きいものなのかもしれないけれど、そういうものに、どこか自分が関われたらって思いますね。

やまがたの支援者(2) 緑水の森支援活動

Q.今後の活動について教えて下さい。

 震災が起こってから今までの活動は、見落とされてしまっていた人たちや地域への人道支援というのを続けているように思います。例えば、漁師町は元気になりましたけど、そこも行政の支援が届かないところでしたからね。当時は集中的にやっぱり、食い物とか入っていったじゃないですか。炊き出しも行われたじゃないですか。ところがそれが行われていない地域。ライフラインの、復興のかけらもなかった地域。そういったところへの人道支援はこれからも続けて行きます。

それと、もう一つプランがあります。今、本田さん(山形ボランティア隊)と一緒に片付けている石巻の渡波の倉庫を、ボランティアさんや石巻の人たちとのコミュニティースペースにしたい。情報発信もしたいから、そこに FM 局も開設したいんですよ。そうすると、ボランティアの生の声が発信でできる。もちろんそこにはスピーカーや楽器も置いて、軽くライブなんかもできちゃったりとかのスペースに。これが、『石巻ローリングストーン計画』です(笑)



−−−取材者からひとこと−−−

 


    私が初めて大谷さんとお会いしたのは、確か3月の後半だっただろうか。

その頃の私と言えば、同じ人であるはずなのに、片方は受け入れ側、片方は避難者という県内の区分けにどこか違和感を覚え、そして、心のケアと言っても、この災害の規模を踏まえると具体的なイメージがどうしてもできずに、悶々とした日々を送っていた。

定例ミーティング後、大谷さんが走り書きで記して下さったメモを拝見して、私の視野は一気に広がった。

—マンツーマンのカウンセリングより、自助グループスタイルのトラウマミーティングが有効と思われる—

それを見たスタッフの一人が、「俺さ、中越のときに、被災者の人たちと一緒に酒飲んだりしながら色々と話したことよくあったのだけれども、よく考えるとこれは、それとどこか似ているなぁ」。私が疑問に感じていたことへの答えが、そのペーパーの中にあった。

その時の興奮を抑えてから二ヶ月が経とうとしていた…。
 時折談笑を交えながらのインタビューは、もう時間を忘れてしまう程だった。
 終始、柔らかく言葉を重ねてくれる大谷さんとの会話は、本当に心地が良い。あの県庁の会議室で、こんなにも柔らかい会話をしたのは、発災からというもの始めてだったかもしれない。

どうしても支援者というものは、その志が高いが故に、被災者に対してもアグレッシブになってしまいがちある。だが、大谷さんは決してその様なことはしない。現地の方々と共に汗をかきながらも、相手の心に寄り添うようにして接している。

 実はこのインタビューの中で、大谷さんと音楽の出会いについてもお話を聞くことができた。音楽と出会ってから46年。その根底にあるのがソウル・ミュージックであるだけに、大谷さんは音楽が大きな武器になることを知っている。だが、決して相手に音楽を押し付けることはしない。被災地においてもピアノを弾くことは稀である。あくまで、その流れの中で音楽を奏でる。生活の流れの中での音楽。

 支援活動という、どうしても硬く構えてしまう私たちの中にあって、大谷さんを初めとする緑水の森支援活動のみなさん は、そこに出来てしまう私たちの心の隙間に、まさに緑と水で心を潤してくれる存在であると、私は思う。

hanaya(yamagata1)

 

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大谷さんの活動ブログです。支援活動を始めた3月から、被災地の状況、そして、活動の様子を発信し続けています。

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