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平和宣言(平成21年9月コラム)

連載:Mr.Ishikawaの時事コラム

平和宣言

 被爆64周年に当たる今年8月の広島、長崎の市長平和宣言は大きな変化があった。加盟都市が3,000を超えた平和市長会議が核廃絶を目指す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を来年のNPT(核拡散防止条約)会議で採択を目指し世界をリードするとの意志表明があったことだ。これには追い風があった。今年4月にプラハでオバマ米大統領が「核兵器のない世界実現へ努力する」と述べたことである。アメリカでは国民の約6割が広島、長崎への原爆投下を正しかったと思っている。その国民の価値観に水を差す勇気ある発言だった。広島市長の意志表明はその風を“オバマジョリティー”として結集、2020年までに核兵器を廃絶しようと呼びかけ、「Yes,we can」と締めくくった。一方、麻生総理のあいさつは今後も「非核3原則を堅持する」というものだった。ところが、東郷和彦元外務省条約局長が日米安保条約締結時に米国の核兵器持ち込みを認める密約のからくりがあったことを指摘しており、麻生総理のあいさつは国会で3原則は守られていると表明してきた従来のウソを上塗りするものだった。政治家の発言が、天と地ほども異なる内容になっている。

 「世界終末時計(Doomsday Clock)」という時間計測がある。アメリカの科学誌「原子力科学者会報」が1947年から新年号の表紙に掲載している時間で、人類の終末までどれだけ近づいたかを示すもの。過去の記録ではアメリカとソ連が1952年に水爆実験を行った翌年の1953年の表紙に掲載された「あと2分」が最悪ケースだった。だが、筆者はキューバにソ連が核ミサイルを配備しアメリカのケネディ大統領が準戦時体制を敷き核ミサイル発射を準備させ米ソ核戦争寸前まで進んだ1962年の方がはるかに終末に近かったと思う。核兵器は1946年にアメリカが2発を開発したのが始まりで、以後ソ連、イギリス、フランス、中国が続き、この5カ国で1986年には7万発を保有し地球から人類を何回も抹殺できる量となった。そして、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮と9カ国が保有する事態に至っている。ところが、核兵器が安価で小型化したことでテロ集団も保有できるようになり国際社会は核管理不能、終末時計の時間計測も不能になった。

 クラウゼヴィッツは著書「戦争論」で「戦争とは他の手段でもってする政治の継続である」と述べている。日本が原爆2発を投下されて敗戦した太平洋戦争のそもそもの原因は、日本が戦争回避の政治上の選択肢を欠いたことにあった。日本は海外から非難を浴びながらアジアでの資源や経済的な権益保にしがみついたこと、近衛内閣が軍部に牛耳られ国内政治で自由な意見を述べる場がなくなったこと、日本を貿易封鎖したアメリカのスチムソン陸軍長官が日本は思慮分別を欠いた行動はとらないと甘い予測を抱いていたことなど原因は複層していた。だが、煎じ詰めれば日本の政治が孤立化し暴走せざるを得ない状況に追い込まれていたことが原因であり、日米開戦は政治解決の一手段であった。イスラエルが1981年にイラクのオシラク原子力発電所を空爆破壊したのは、イラクが「イスラエルを地中海へ追い落とす」と公言したためイラクの核武装を妨げる以外に自国が生き延びる選択肢はないと考えたことによる。現在の北朝鮮の政情は戦前の日本の日米開戦やイスラエルのイラク空爆当時と酷似している。北朝鮮は国連安保理決議に反発する形で去る5月、2006年に続き2度目の核実験を行い、4,5月には立て続けにミサイル発射事件を行った。その主な狙いは、北朝鮮軍が日本国内、ハワイ、グアムの米軍基地を核攻撃する能力があることを示すこと、核兵器開発を狙う諸外国へ兵器輸出し経済的利益を得ること、政治部門の朝鮮労働党が縮小され人民武力部(国防省)へ権力集中が進んでいることなどである。国際政治上の孤立化が起きている点が似ているのである。

 北朝鮮はクリントン元米大統領や韓国の現代社長と8月に会い米記者開放や南北往来再開で合意したが、軍部主導の政治体制が変わらない限り平和路線へ変更したことにならない。日本は現在、事実上米国の“核の傘”の下にあり、北朝鮮に対し「核武装をやめろ」と言える立場にない。今年は米国のオバマ大統領とロシアのメドべージェフ大統領との間で核弾頭数を1,700個以下に削減する合意に達したが、パキスタンではテロ集団へ核兵器が横流しされかねない状況が生じている。核戦争の脅威は低下したが核攻撃の脅威は増大している。金沢市在住の主婦の浅妻南海江(66)さんが「はだしのゲン」の英露版を出版し原爆投下の惨禍を海外へ紹介したように、日本は国内で平和を叫ぶより海外へ向かって核廃絶を訴える方向へ転換すべきである。それが日本の核廃絶運動の必須条件である。

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